めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
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そうだ記憶だ。記憶なんだよ結局は。
論文のたてなおしをちまちまやりながら変な方向にネガティブ入りながら、「結局自分は何がやりたかったんだっけ」とか言い出して思い出した。
結局自分のテーマは記憶なんだよ。
野望を述べろ、って言われたら「全記憶プロセスの解明」とかおとなしーこと言うけど(いやでもこれだけでも十分はっちゃけすぎだと思う)、もともとはもっとマッドな「すべての記憶プロセスを好きなようにコントロールできたらいいのに」という動機?から始まっていたのだった。
好きなデータを符号化し、好きなデータを想起できるシステム。
逆にいえばきらいなデータを抑制し忘却できるシステム。
そのための、記憶情報を解読できるシステム。
そのへんの実装は自分が生きてる間には無理だろうなあ、とB4くらいの頃は漠然と思ってたけど、デコーディング研究が活発になって心理屋さんでも手が届くんじゃないかってとこらへんまできた今となっては、マッドな野望を未来に託さなくても自分で考えてみてもいいんじゃないのか。
元々B4くらいまではわりとマッドなこと言ってて、研究室が変わったときにむりくりおとなしく矯正したけど、今となっては多少マッドになってしまってもいいんじゃないのかね。
以前はマッドなだけで方法論がちっとも伴わなくて、「たぶん脳の研究に直接携われなければ野望を実行することは不可能なんだろーな」とあきらめてたわけで。
今は一応神経科学にちょみっと関われるようになってきてるのだから、あきらめたマッドネス再来してもいいんじゃないのか。
というわけで自分のマッドネスをひた隠しにすることをやめよう。
といっても、デコーディングなんかはただ分類やってるだけのようなもので、実際の心的カテゴリとそれに伴う脳活動との対応がどれくらいあるのか、というのは別の研究で担保しなければならないわけで。
いやまあそれは「研究」である以上しかたのないことか。すべてをいきなりかたづけることはできない。
いやむしろその「担保」の部分は本当にちゃんと担保されているのか?
デコーディング研究の数が増えることは単純にいいことかもしれない。数うちゃ当たる。実際に対応した分類マシンを構築することも確率的には不可能ではない?
しかしその「アタリ」を判定するにはどうしたらいいのか。
そのへんを含めて「担保」の部分をもうちょっと考えるべきではないのか。
単に外的情報と神経活動との対応を考えるだけなら、「こころ」と呼ぶものなんかいらないのであって、同じ外的情報でも受け取られ方が違うからその受け取り器官(機関?)としての「こころ」というものが想定される。
じゃあその受け取った情報のかたち(単位?形式?)をなんと呼べばいいのか(もしくは今までの研究上の術語の何と対応づければいいのか)?
→それが「記憶」でありrepresentationじゃね?
ということで単なるデコーディングではなく記憶representationのデコーディングが「完璧に」成功しないと(マッドな野望的には)意味がないのだよ。
日本に限れば、representationを「表象」と訳すひと(主に心理学)と「情報表現」と訳すひと(主に神経科学もしくは計算論的なとこのひと?)がいて、はたしてそれは同じrepresentationなのかと思うが結局はそれも定義問題なのだろうか。
前に神経科学のえらい先生と話したときも、こないだ心理学の後輩と話したときも思ったんだけど、結局「神経科学」と「心理学」では着地点が違うのよな。
「神経科学」は脳神経のしてることが知りたい。だからしてること(=心的機能)の評価のために心理学的手法を必要とする。着地点は「脳神経がどうなってるのか」。
「心理学」は「こころ」がどんなことしてるのかが知りたい。「こころ」には脳神経が必要だから、神経科学的手法を必要とする。着地点は「こころはどうなってるのか」。
協力すればおもしろい仕事ができるけど、着地点が違うから、同じ土俵にいつまでもいっしょにいるわけにはいかない。
いや、いっしょにいるほうがおもしろいけど、目標が違うことはお互いに把握しとかないとあとあとめんどくさい。
そうでなければ、着地点を見失ってしまう。
「自分の着地点を見失わないようにしよう」と思ったら「じゃあ自分のめざすところってどこだっけ」という反省になって、マッドな野望を思い出した次第。
いきなりマッドな研究に着手することはできないけれど、自分のマッドネスをもっとたいせつにしていこう。
どうでもいいけど、自分で自分をマッドだと判断できる程度には正気なんだよな自分。
修行が足りない。
論文のたてなおしをちまちまやりながら変な方向にネガティブ入りながら、「結局自分は何がやりたかったんだっけ」とか言い出して思い出した。
結局自分のテーマは記憶なんだよ。
野望を述べろ、って言われたら「全記憶プロセスの解明」とかおとなしーこと言うけど(いやでもこれだけでも十分はっちゃけすぎだと思う)、もともとはもっとマッドな「すべての記憶プロセスを好きなようにコントロールできたらいいのに」という動機?から始まっていたのだった。
好きなデータを符号化し、好きなデータを想起できるシステム。
逆にいえばきらいなデータを抑制し忘却できるシステム。
そのための、記憶情報を解読できるシステム。
そのへんの実装は自分が生きてる間には無理だろうなあ、とB4くらいの頃は漠然と思ってたけど、デコーディング研究が活発になって心理屋さんでも手が届くんじゃないかってとこらへんまできた今となっては、マッドな野望を未来に託さなくても自分で考えてみてもいいんじゃないのか。
元々B4くらいまではわりとマッドなこと言ってて、研究室が変わったときにむりくりおとなしく矯正したけど、今となっては多少マッドになってしまってもいいんじゃないのかね。
以前はマッドなだけで方法論がちっとも伴わなくて、「たぶん脳の研究に直接携われなければ野望を実行することは不可能なんだろーな」とあきらめてたわけで。
今は一応神経科学にちょみっと関われるようになってきてるのだから、あきらめたマッドネス再来してもいいんじゃないのか。
というわけで自分のマッドネスをひた隠しにすることをやめよう。
といっても、デコーディングなんかはただ分類やってるだけのようなもので、実際の心的カテゴリとそれに伴う脳活動との対応がどれくらいあるのか、というのは別の研究で担保しなければならないわけで。
いやまあそれは「研究」である以上しかたのないことか。すべてをいきなりかたづけることはできない。
いやむしろその「担保」の部分は本当にちゃんと担保されているのか?
デコーディング研究の数が増えることは単純にいいことかもしれない。数うちゃ当たる。実際に対応した分類マシンを構築することも確率的には不可能ではない?
しかしその「アタリ」を判定するにはどうしたらいいのか。
そのへんを含めて「担保」の部分をもうちょっと考えるべきではないのか。
単に外的情報と神経活動との対応を考えるだけなら、「こころ」と呼ぶものなんかいらないのであって、同じ外的情報でも受け取られ方が違うからその受け取り器官(機関?)としての「こころ」というものが想定される。
じゃあその受け取った情報のかたち(単位?形式?)をなんと呼べばいいのか(もしくは今までの研究上の術語の何と対応づければいいのか)?
→それが「記憶」でありrepresentationじゃね?
ということで単なるデコーディングではなく記憶representationのデコーディングが「完璧に」成功しないと(マッドな野望的には)意味がないのだよ。
日本に限れば、representationを「表象」と訳すひと(主に心理学)と「情報表現」と訳すひと(主に神経科学もしくは計算論的なとこのひと?)がいて、はたしてそれは同じrepresentationなのかと思うが結局はそれも定義問題なのだろうか。
前に神経科学のえらい先生と話したときも、こないだ心理学の後輩と話したときも思ったんだけど、結局「神経科学」と「心理学」では着地点が違うのよな。
「神経科学」は脳神経のしてることが知りたい。だからしてること(=心的機能)の評価のために心理学的手法を必要とする。着地点は「脳神経がどうなってるのか」。
「心理学」は「こころ」がどんなことしてるのかが知りたい。「こころ」には脳神経が必要だから、神経科学的手法を必要とする。着地点は「こころはどうなってるのか」。
協力すればおもしろい仕事ができるけど、着地点が違うから、同じ土俵にいつまでもいっしょにいるわけにはいかない。
いや、いっしょにいるほうがおもしろいけど、目標が違うことはお互いに把握しとかないとあとあとめんどくさい。
そうでなければ、着地点を見失ってしまう。
「自分の着地点を見失わないようにしよう」と思ったら「じゃあ自分のめざすところってどこだっけ」という反省になって、マッドな野望を思い出した次第。
いきなりマッドな研究に着手することはできないけれど、自分のマッドネスをもっとたいせつにしていこう。
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カテゴリ説明
もっさり:日々の雑感をもっさり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
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分野は視覚認知。視知覚にがて。
あと記憶全般。
カテゴリ (semanticsか?) とかも。
最近デコーディングが気になる。
でも基本なんでもこい。
好奇心は悪食。
好きな作家(敬称略)
川上弘美
小林秀雄
津原泰水
森茉莉
レイ・ブラッドベリ
イタロ・カルヴィーノ
グレッグ・イーガン
シオドア・スタージョン
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