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めもめも ...〆(。_。)

認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。

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おやつを食べながら(ほんと食べながらものを考えてるときが一番あたま働くよな。あとおふろ入ってるときも。誰かおふろで使えるメモとかPCとか開発してくれないかな)、思ったことをめもる。

さっきの「倫理的問題」について。
古典的にはやっぱ「フーコー的権力構造」の話なんだと思うけど、神経科学そのものが新しいために、フーコーっぽい議論が(日本において)尽くされていないのだと思う。

このへんについて(たぶん)日本でいちはやく論じたのは美馬達哉先生だと思う(本を検索しやすいようあえて実名)。ってか生権力って言ってるし。
とりあえずそれっぽそうなののリンクはっとく。
www.jimbunshoin.co.jp/rmj/ethicstop.htm
だがそこらへんの議論が裾野に広がってないのはなんでだ。
というのが下々のものとして考えるべき問題でもあるな、と。

やはりフーコーっぽいのってやや越境学問なのか?
はたして下々はどうすべきなのか。

いろいろ考えた
ので、いくらか書いておく。人のブログに雑記をのせるのもあれですが、
許してください。

越境。学問のボーダーも、国境と同じとまでは言わないが、ある程度は歴史的に形成されてきたワケだが、
我々がなんらかの世界像を描こうとしたり、それをもとに何かをしゃべろうとしたりするとき、
狭い領域に押し込められていたんじゃ、やり辛くてかなわん。
分業は組織の中では効率的なこともあるが、個としての我々の生命力を奪う。
生活のためには、なんらかの専門領域の確立の必要はあるかもしれないが、
我々が「認識の部品」ではなく、「認識」を欲する以上は、
各人、その欲求に応じて積極的に学問領域を越境すべきであろう。

我々は学者である前に人であるわけだし。

もちろん、学者としても、脳科学の人もエシックスをやるべきだろうし、
エシックスの人も「問題」の宝庫として
(価値判断の問題が脳科学に還元できるかもしれないなんて主張もあることだし)
脳という領域と、脳科学による発見に注目すべきだろう。

というのは当然のこととして、しかし、当然のことが当然のようには行かないのも事実。

これは専門化が行き過ぎることによる弊害だとおもうんだが、この辺は
ゲーテが愚痴っているし、もっと早くはヴィーコが『学問の方法』なんかで言っているけれど
その後おそらく事態は悪化しているのであって
われわれはなんとか回復につとめるべきだと、私もおもうのですよ。

裾野が広がらないのは何故だろう。
一つは学問的にだけでなく、生活的にも分断されているからだろうか。

まずはいろんな領域の人間が、
特に「異分野融合○○」的な場なんぞなくとも、
日々の生活の中でしゃべりあう機会がいっぱいあるとうれしいのだけれど。


「母性脳」という色々突っ込みどころがある話題にも軽くだけ触れとくと、
「突っ込みどころ」のどれを選ぶか、というのは、非常にでかい問題。
ギリシャローマの時代から、裁判にあたって、どのフェイズで戦うか、
というのは、雄弁家の腕の問われるところだった。

まずは、当然、検証方法の問題があるだろうし
方法が妥当として、実験?結果から、ある事実命題を導きだす際の、結果と命題のギャップでも戦えるだろう
で、その実験結果を「○○である」という命題にすることが指示できるとしても、
「○○である」、という事実から「○○すべき」という当為には相当なギャップがあるはずで、
そこでも十二分に戦えると思う

類としての女性に○○の生物学的特徴がみられる、という命題から、
結局は個人としての女性にかかわる、女性は○○すべき、
という命題をつなぐOパーツは、相当突っ込めるはず

それから、ネーミングで戦うのも良いね
「名称」の世に与える影響の大きい以上は…
(内田氏が「奨学金」についても言ってたけど)
by K 2010/10/29(Fri)23:32:17 編集
Re:いろいろ考えた
長々返信さんきう。

とりあえずつっこんでおくと、自称「脳科学」のひとと、本職の「神経科学」のひとは分けて記述してくれんかのー。
本来はその自称「脳科学」と本職「神経科学」の対立の話だったので。

まあそんな些細な術語の話はどうでもよくて。
「学問的にだけでなく、生活的にも分断」という問題はある意味あたってると思う。
実際、川上弘美さんの「まざるまざらない」で言及したように、「異分野」のひとと接触する場面というのは極めて少ない。
んが、「ある意味」と限定をつけたのは、現代ならネットという道具があって、それで多少は「異分野」のひとを巻き込むことが可能だから。

あとまあ、「巻き込まれたくない」というひとが少なからずいるのもあるなー。
あんまりでかいことを言うと目の前のしごとに差し支える、というひとたち。
多くは生殺与奪を上司に委ねさせられている若手なわけだが。
以前わたしがおまえや他の異分野のひとを巻き込んで議論の場を作ってみようとしてたしなめられたことはおまえの記憶にもあるだろう。
そういうひとたちをうまいことかわして、「巻き込まれてもいい」ひとたちでなんとか議論の場を作ろうと試みてみるしかない。
そゆ意味で、ネットは制限がすくなくてよろしい。

「母性脳」に関しては、論理の飛躍もぐだぐだだし、検証すべきところを検証できる力を持っていながら検証していない点もどうかと思うが、おまえさん向けの議題としては、「研究者」という「権威」(たとえそれが偽の看板だとしても)を持って、誰かを陥れるような言説を発表してしまうことに対して、研究者はどうあればいいのか、どう対処すべきなのかという問題がある。
もし科学的に裏づけがあれば、どんな言説でも自由だと考えるべきなのか。
やはり研究者も社会の一員である以上、社会的要因でその言説が規定されてしまうのか(現実にはそうだろうけど、それを「よし」としてしまってはたして本当によいのか)。
そもそも社会的に望まれない言説のために研究をすること自体、基本的に税金で研究する研究者にとって問題はないのか。
研究と社会の関係を考えるにあたって、論拠となる「倫理」は何か?
などなど。

でもこんな話、身内でもしたことないや。
まああんまりうちの身内に「巻き込まれてもいい」タイプのひといないからなあ。
「事なかれ主義」でないと業績増えないしなー。

とりあえずおまえさんの意見をもっともっと聞かせておくれー。
そうすれば少なくともここは議論の場のひとつになるのだから。
2010/11/02 14:27
無題
「脳科学」「神経科学」の件はゆるして。
それはさておき。


巻き込む、巻き込まれるにはネットというのは非常に便利な代物で
どんどん活用したらいいと思って入るんですが
個人的には、ネット上の議論だと「いまいちやる気がわかない」という、
地味に困った問題があります

ネット上だと、じっくり内容が読めるので、内容に返そうとしてしまう
face to face なら脊髄反射でもっとあほらしく返せるんだが…

と、それだけいうと、むしろいいことのように思えるが

内容に返そうとすると、考える
考えると時間がかかる
時間がかかるとタイミングを逃す
結局答えずにいる、
ということがしばしば

やはり、その場で直接こちらを向いて、
熱なり色なりを帯びた声で問いかけられたのに対して
打ち返して行く
という会話なり対話なり議論なり馬鹿話なりのやり方と
同じ熱で持ってウェブでやりとりをするのは私には難しい…
(オールドタイプなのかしら)

ま、ウェブでの議論は、私にとっては日々の議論の補助手段ですね、いまのところは

と、思ったが最近はウェブもどんどん進んでいるし、
問題は隔時性と、顔が見えない、声が聞こえない、ということなのであれば、
チャットでは不完全だが(顔・声)skypeは結構いけているのでは??
ということになる…

が、skypeも、日々の生活の中で、「会う」ことの完全な代用品にはならない

ということの、理由らしきものをひとつあげておくと、
skypeは、話すためにつなぐものであるということで、
つなぐハードルがあるし、
自然発生的な会話とはちがう
茶を飲んだついでに話すとか、酒のついでに話すとか
研究室でふと居合わせて話しだす、みたいな「気楽さ」と「あそび」に少々かける。
窮屈なのよね

それに、そうやって1ハードルまたがせるくせに、実際に会って話すときのような感動にはかける
…のですよ

まあそういうわけで、webはもちろんつかいつつ
できるだけ日々の生活の流れに、いろんな人間と会う機会をつくりたいと思っているんだが
(時々非ウェブ世界で養分を補給しないと、僕はweb上で議論を続けられないので)


指摘の通り、「巻き込まれたくない」ひとは多い
原因は、ひとつはもちろん彼らが忙しすぎることにあるとおもう

忙しい人間は無駄なことはしない

で、僕としては、彼らが本当に忙しくて、また、自分の判断でもって己に無駄となることには関与しないというなら、
特に問題はないと思う

が、多くの人が、上司の為に忙しいんだったり、
無駄かどうかの判断も、それが、自分にとって無駄かどうか
ではなくて、上司にとって無駄かどうか
になってしまっているんだったりしたら、それは問題だと思うのよね

さて、飲み屋ででもしゃべっているつもりで、どんどん適当に書いていくが、

まずは、何が我々に必要なものか、もう一度考える必要があると思う
もちろん、研究の場所がいる、研究の費用がいる、研究の問いがいる、
生活の場所がいる、生活の費用がいる…
ほかには??それを考えなきゃいけない
無駄なものと要るものとを、自分で判断できるようにならなければいけない
我々は、我々に必要なもののごく一部だけを必死に追いかけているような気がするし、
それについて、これこれがあなたには必要ですよ、と他の人に言われるのになれっこになって
(それは上司だったり、専門家だったり、慣習だったりするんだが)
自分で判断できなくなりつつある

その流れから母性脳のお話について考えると、
問題の一つは、研究「結果」の解釈は誰がするのか、ということかしら
「これこれの結果が出ました」 「So What?」 という局面で
その、「So What?」について考えるのは果たして専門家の義務なのかしら
「非専門家」は(専門家だって、自分の専門外のあらゆる分野では非専門家ですから、
我々皆がそうなのだけど)その部分を専門家に投げてしまって満足なのかしら

僕は、「権威」を利用して、ある「解釈」を世に発表するときは、
(言説はすべて解釈ととらえて書いてます)
その社会的影響を十分に考慮するべきだと思ってますが
もちろんそこには倫理的問題がありますが

それより先に、受信側の判断力があまりに弱体化されていると思うのですよ
投げてはいけないものまで専門家に投げてはいけない
投げ捨ててはいけない
手放してはいけない
死守せねばならん

とか、話がずれてますか?
もっとちゃんと掬って答えたかったんですが、
とりあえず今日はこのくらいに。
by K 2010/11/05(Fri)01:20:45 編集
Re:無題
「いまいちやる気がわかない」のはおまえさんのデフォルトではないかとつっこみたくてしょうがない件。
face to faceでないと、「反応しない」ということに関して責がないからじゃね?
ウェブかそうでないかに関係なく、誰かを泣かしながらでないと仕事しないではないか。
とりあえず事務のひととMちゃんはあんまり泣かしてやるなよ。

「忙しい人間は無駄なことはしない」のはまあ仕方がないが、「無駄」の判断は確かに問題だなあ。
それは最近の「すぐに応用(=換金?)できない研究には価値がない」とでも言わんばかりの風潮に関係してくる気がする。

正直「母性脳」らへんの個々の議論に関しては、(わたしにとっては)あまりにも下卑て見えるのでもう論じたくないのよな。
ただこいつの問題は、「科学として適切でない点」「社会として適切でない点」「対個人として適切でない点」があって、そこを切り分けて論じなければならぬ、と思うし、そのざっぱな分類からさらに下部分類が必要な気もする。
つまりひとつの問題として考えるのにあまりにもめんどくさい。

「必要なもの」を他者(上司・専門家・慣習)に規定させてしまう、というのはまさに生権力的構造ではないのかね。
最早使い古されまくったはずの構造であるはずなのに、まだそこに戻ってきてしまうのか。

専門家はやはり「専門家」であるだけで権威を着せられてしまうのか。
いや、「専門家」であるからこそ権威を着なければならないのか。
自らの意思に関わりなく、権威を着てしまえば、そこに何かしらの責が生じるわけで。
その責が、ただ解釈を世に出すことだけにまつわるものならば、それはしかたのない(逃れようもない)責だと思うが。
現実には、おまえさんの言うところの「So What?」の局面についてまでの責はさまざまな場面で求められているのではないかと思う。
たとえば研究費をもらうために書く書類は、たいてい「社会にどのような(よい)影響を与えることが見込まれるか」というのを書く欄がある。
まあそれは実際の責を問われることはないのだけれど、それでもその欄を埋めないと「書類の不備」になるわけで、ある程度社会に対するスタンスを考えることは要求されるわけだ。
そうでなければ研究費はやらないよ、というのが近年の傾向なのだから、それは最早「義務」ではないかと。
まあ責を問われることがないのなら、「義務」には該当しないのかもしれん。

しかしおまえのいう「権威を利用」というのがどの範囲かわからんな。
メディアに乗った時点をさすのか、研究機関に所属した時点をさすのか、論文を発表した時点をさすのか?

「受信側の判断力があまりに弱体化されている」というのは確かにそうで、似非神経科学が論じられるときにも、「メディアはあまりにも受信者が“断定してくれる権威”を求めていると決め付けすぎてるんじゃね」という問題提起がある。
その「判断力」をちゃんと持ってもらうために「科学教育」や「サイエンスコミュニケーター」が必要なのだと思うが、今のところ何が有効な手立てなのかはわからぬ。

「投げてはいけないものまで専門家に投げてはいけない」というテーゼそのものが受け入れられるかどうか確かめるべきなんだよな。
つまり、「権威は断定しない」ということを受けいれらるかどうか。
ネット上の似非神経科学の議論を見れば、断定しない権威を受け入れる余地はあるような気もするけども、ネットでわたしが確認できるのってごく一部だからなあ。

うちのオカンは似非神経科学なテレビ番組見てもわりと喜んでしまうほうだったので、以前いちいちわたしが「これはそこまで明らかになったことではない」「これは論理が成立していない」などのツッコミをしてたらすげー不機嫌になってしまった。
結局、そのへんの物言いが胡散臭いということは受け入れてくれたようだったが(それも結局はわたしが「断言」しなければならなかったわけで)「ウソでもその場が楽しければいいじゃないか」って怒られたよー。
「断定しない」→「自分で考えなくてはならない」→「楽しくない」ということになるのかもしれん。
たぶん問題は「自分で考えなくてはならない」→「楽しくない」というパスにあるんだよな。
自分で考えることが楽しければ問題ないはずで。

じゃあ「自分で考えること」を「楽しい」と思ってもらうにはどうしたらいいのだろう。
やはりそれは「科学教育」なのか。
あれそれ昨日(11月4日)書いた話とつながってしまう?とか思ったり。

受信者側で、「自分で考えること」を「楽しい」と思うひとはいったいどのくらいの割合存在するのだろう。
実はこれメディア側も知りたい情報ではないのかねえ。

まあでも結局、すぐに換金できないことには価値が見出されなかったりするのだろーか。
いやでもこれだってただの推測だ。

実際のところどうなっているのかを知る方法は(現実にわたしやおまえが手にできるものは)あるのだろうか?


まーそんなかんじでぐだぐだ議論せむ。
2010/11/05 21:28
追記
専門家がどこまで負うべきか、という話をもごもごしてたらこんなん見つけた。
(h抜き)
ttp://blogs.yahoo.co.jp/katsuya_440/64144475.html

この意見がどれくらいの支持を集めるのかはわからんが、工学系の専門家は経済にも通じ経済政策に影響を与えられなければならないらしい、と読める。

理想としては確かにそれは望ましいことだろうが、はたして実際には可能なのだろうか。
それよりも、経済政策については経済政策の「専門家」が存在しているのでは?

どこまでを専門家の責とし、どこまでを分業するのか。
例えば、大学において、主に「研究」に従事するひと、「教育」に従事するひと、「事務」に従事するひとで分業すべき、という意見もある。
逆に、最新研究に携わるひとが教育すべき、研究をよくしっているひとが事務仕事をすべき、という意見もある。

何が“正しい”のか、“正しい”なぞ存在しないのなら、何が妥当なのか。
ちょっとよくわからんくなってきた。
by az 2010/11/09(Tue)21:17:21 編集
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