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めもめも ...〆(。_。)

認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。

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『くらやみの速さはどれくらい』読了。


え…あれ?
こんなオチでいいの?
というのが読後第一感想。

自閉症患者であるルウをメイン主人公に、ルウとルウの周囲の人々を語り部にして、自閉症患者と「ノーマル」なひとびとの交流あるいは「壁」を描く。
そして、自閉症患者を快く思わない上司が、新しい自閉症の治療法の治験を強要する!
と、いうフリで読み始めたんですが。
むう。

いや、ルウが語り部パートの、詳細な知覚情報にこだわる様子やらパターン認識に特化したスキル、「ノーマル」なひととの「壁」を辛く思う心情なんかの描写はすばらしいと思う。
自閉症について教科書レベルのことしか知らないわたしですが、友人には発達障害を専門に研究してるやつもいるので、多少の知識はなくもないわけで。
その浅薄な知識において矛盾無く、そして美しく「自閉症」というものを描き出していると思う。

んでも、「おはなし」としての性急さに、ちょっとなんだかなあ…と思ってしまった。
それをいえばこれの比較に用いられる「アルジャーノンに花束を」だって、ラスト部分はえっらい性急というか唐突だ。
「どんでん返し」だと思えばいいのか。

今てきとーにぐぐったら、「SFらしくないSFで読みやすい」とか書いてる感想を見てしまった。
スペースオペラがSFだと思っている輩はもれなく箪笥や机の角で小指なり足の親指と親指の間なりを強打すればいいと思う。
ちなみにわたしはスペースオペラものはあんまし読みません。
戦争やら戦闘ものが好きではないので。
甘ちゃんと罵ってくれて結構。
科学を戦うことに使うなんて、空想に持ち込むだけでも反吐が出るっつの。
現実でさえめんどくさいんだから、空想においてまでそんなもん持ち込むな、と。
勿論私見なので他人に強制する気は無いけど、「SF=スペースオペラ」と思っているひとは早めに改宗しないと呪われますよ。主にわたしに。
(それを強制とも言う気がするがまあ気にしない。
「呪い」なんて非科学的な!というひとは初詣も止めることですね。
慣習とそれにまつわる情動は、べつに実験的証明を必要とするものではなくて、ただの「気分」ですから。
って言って「まとも」な宗教者に怒られたらどうしよう。
まあ思想を共有することはできない(稀に可能な場合もある?)からって言って許してもらおう)

じゃあネタバレ含む感想。
ここまでで随分暴言を吐いたような気もするけど気にしない。


このモノガタリのメインテーマとなるのは、おそらく「自閉症などの発達障害とかは、自己形成に必要なピースなのか、それともそうではないのか?」という問いかと。
つまり、自閉症患者に自閉症を治療させたら、治療前と後で人格なり「自己」観が変わるんじゃないか?という話。
だから、治療を強要する上司は自閉症患者の「自己」を踏みにじってて、越権行為過ぎる、と。
いや、あんまし一般化した物言いすると焦点がぼけるな。
治療にせよ何にせよ、何かを強要する(しかも離職をちらつかせての脅迫」は越権行為で、その企みが会社の最上層にばれた上司はよくわからん間にクビになってる。
(この経緯は「ルウ」にはわからないということで描かれないのか、単に性急な話の展開なのかちょっと判断しかねる)
だから、まあ「この上司はわるいやつだ」的紋切りでばっさりおいといてもいいと思うが。
「治療」ってそもそも何よ?という疑問、その治療は本当に必要なものなのか?という疑問が、かなり重要なんじゃないかなあと思う。

このモノガタリのSFポイント、つまり空想科学なとこは「自閉症の治療」という点。
そしてそれは3種類ある。
1)遺伝子治療:自閉症を起こす遺伝子欠損を胎児のうちに治す
2)行動的治療:遺伝子治療が開発される前に生まれた患者に、行動プログラムを課して社会的スキルを身につけさせる
3)神経治療:ニューロン結合をつなぎかえて自閉症の認知様式を「ノーマル」に変える
という設定。
ルウは1)の治療が開発された後に生まれ、2)のプログラムを受けて、カウンセリングやら会社側の配慮やらの支援を受けながらSEっぽい仕事をして暮らしている。
そして新たに開発されたのが3)の治療。
というお話。
正直1)と3)のリアリティとか判断しかねるしどーでもいい。
ただ2)すらも「SF」な現実が悲しい。
という心理屋の感想も湧く。
いちお神経系のこともやらんではない立場として、「ちょwwwwつなぎかえるってwwwwww」的ツッコミも感じなくもないが、SFなんだからそれはよしとしよう。
ニューロンに介入して、「病気」が治るなら万々歳、と言われたら、実験屋には立つ瀬がないってゆかまあうん。そりゃそうだよね。
ただ、その「ニューロンに介入する」ことが「自己」に及ぼす影響は、果たして肯えるものなのか?
そこを、もっとつっこんでほしい。
と思ってたらルウは悩みつつもあっさり踏み込む。
それが、ルウの望む「速度」の世界だから。

だけど。
「ニューロンに介入する」ことは、そんなあっさり流される問題なんだろうか?
このモノガタリ世界では、危険な犯罪を犯したものは、「更正チップ」というものを脳に埋め込まれて、二度と暴力行為が働けないようにプログラムされる。
ルウの友人だった男が、ルウと仲のよい女性に横恋慕して、ルウに危害を加え、彼は刑罰とともにチップを受け入れさせられる。
ルウは、チップが彼の人格すらも変えてしまうかもしれないと恐れる。
警察は、ただ行動を矯正するだけで、他には一切影響しない、と言い切る。
このエピソードはメインの話ではないので、更正チップについて多く語られることはない。
ただ、同じ構造は3)の治療の説明場面でも見られる。
ニューロンをいじることで、人格やスキルが変えられてしまうのではないか?とルウが問うと、研究者たちは、社会的認知に関わる部分しか変えないから、他の部分は変わらないはずだ、と答える。
なわけねー。
とルウも思い、わたしも思う。
脳の一部分だけの変化が、行動なり認知なりの一部にしか変化を及ぼさないとかありえなくね?
でも、ルウは決断してしまう。
今自分のすきなもの、すきなひとを、治療後の自分も変わらず好いてくれるように祈りながら。
治療後、ルウは「宇宙飛行士」という小さい頃の夢を叶える。
それはすばらしいことだ。
そのすばらしいエピソードで、このモノガタリはエピローグを迎える。
ただ、治療前のルウが愛したものも愛したひとも、すべては治療後のルウが手放してしまった。
つまり、治療後のルウには、治療前のルウの祈りが通じなかったのだ。
そして、その「手放す」エピソードは描かれない。
わたしがモノガタリとしての性急さを感じるのはそこらへん。

さて。
この治療前と後のルウは同じ「自己」だといえるのか?
「ニューロンへの介入」の許されるレベルとはどこらへんまでか?
いわゆる「発達障害」は治療「されなければならない」ものなのか?
疑問、というか議論のタネはいくらでもある。
そういう意味で、これはおもしろい本だと思う。
発達障害を専門にしてるやつに、この本を貸したらどんな感想を持つだろう。
でもあいつ、普段から本読まないし、部屋が相当汚いらしいから、本を貸して破けたりあまつさえ部屋のカオスに飲み込まれたりしたら侘しいからやっぱ貸さないでおこう。


議論のタネの芽をちょっと伸ばしてみる。
最近の日本ではやたら若年者の犯罪と発達障害をむりくりひっつけよーというワイドショー魂胆がちらほら見えるけれども、明らかな因果関係の誤推定だからいいかげんえらいひとががつんと怒ってくれないとだめだ。
だから犯罪と発達障害をむりくり結んで「だから治療すべき」的言い方をするひとがいたら、まずそのひとのあたまを治療したほうがいい。
そもそも「定型発達」というものがぐにゃぐにゃだし「発達障害」もスペクトラム的っつかはっきりとした線引きの難しいものだし、治療の対象というものがはっきりしない。
遺伝子治療は優生思想とつながるんかもしらんしつながらんのかもしれん。
遺伝関係は詳しくないので、そのへんの議論は誰か詳しいひとに頼みたい。

ま、ここはひとつ、わたしも多少は知識のある神経科学、そして心理学の土俵で議論させてもらおう。
先に結論を言うと、わたしは2)の行動訓練的なものはアリで(というか早急に開発されるべきだと思う)、3)のニューロンへの介入には疑問がある、という立場。
根拠は、「自己」と「記憶」。
2)は、訓練前と後で行動様式は変わるけれども、「自己」の変化感は少ないし、訓練前の記憶が失われることもない。
だけど3)のほうでは、明瞭な「自己」変化感、そして一時的に訓練前の記憶が思い出せなくなり、そのあとも自己関与感の薄いおはなしとしてしか思い出されない。
今のわたしの倫理観では、科学が「自己」に手を出すのはNGだと思う。
「自己」を自分のものにしておけるのが「人権」ってやつなら、それを変えてしまうのは、科学の越権行為だろう。
んで、その「自己」の基準は、心理学でいうところの「自伝的記憶」だと思う。
ルウも、難民は自分のふるさとに戻ることはできないが、自分のふるさとを懐かしむことができる、なのに術後のぼくは懐かしむ記憶すらないかもしれない、と懼れていた。
自分が自分である、というのは、自伝的記憶がはっきりとあり、それが自分の関与してきた人生だとはっきり言える、「自伝的記憶へのfamiliarityが高い」という状態だと思う。
そう、だからわたしは、ヒトをかたちづくるのはそのヒトの記憶だ、と思ってきたからこそ、記憶の研究をしたいと思い、(超アカポス就職氷河期でびんぼー院生の辛酸を舐めてでも)記憶の研究に従事することを望んだのだ。
その記憶ってやつは、脳のどっか一部分にしまわれているようなものではない。
全脳に張り巡らせられたネットワークが、たいせつな記憶をかたちづくっているのだ。

記憶、記憶、記憶!
中にはいわゆる黒歴史だってある。
突然思い出してあー!あー!叫びだしたくなるときだってある。
中には思い出すだに痛ましいものだってある。
誰にも話したくない話せない蜜だってある。
知り合うひとびとすべてに話しかけたいような誇らしいものだってある。
すべてがわたし。すべてがわたしだけのもの。
あの愛しくて愛しくて狂おしいまでにいとおしい、記憶たち!

だからこそ、自伝的記憶へのfamiliarityを損ねるような方法は、治療法として不適切だと思う。
ニューロン結合を外的につなぎかえたりしたら(それが可能かどうかは措くとして)、記憶を撹乱し損ねてしまうのは、記憶がネットワークであるなら予想されることだ。
その自伝的記憶へのfamiliarityを失ってまでも、「発達障害」というものは治療されねばならないのだろうか?

「ニューロンへの介入」という意味では、ある意味BMIもそうなんじゃないか、と一瞬不安になった。
んでもBMIは外的にニューロン結合を変えるんじゃなくて、新しい入力なり出力なりを与えて、ニューロン結合を内的に再構成させるものだから、自伝的記憶へのfamiliarityは失われないはず。
だったらわたしの中の倫理には反しない。

ということで、このモノガタリを、すげーご都合主義的ハッピーエンドにしようと思ったら、ニューロンへの外的介入ではなくて、なんらかのステキ方法を以ってしてニューロン結合が「ノーマル」っぽい方向に内的再構成される、というSFポイントが必要になる。
「ステキ方法」がわからなさすぎてSFにも乗らないのか。かなしい。
そして、そもそも「ノーマル」って何よ?という問いは放置される。
本当はここが一番のキモなのかもしれないのに。

このモノガタリでも登場するカウンセラーの描写は、「ノーマル」と「非ノーマル」の線引きに対する自省を促してくれる。
なんでもかんでもわかったかのような顔つき、患者は何もわかってやしないという決めつけ。
カウンセラーや研究者は、一概にそんな印象で語られる。
本当にわかっていることなんて何も無いのだ、とこっそり神経科学を学んだルウは看破してしまう。
「非ノーマル」をプロトタイプ的偏見で見てやしないか。
患者は、研究対象である以前にひとりのヒトで、自分と同様にたいせつな自伝的記憶を持っているのだよ、と。
研究者には、ちょっとちくりとするトゲだと思う。
そしてわたしはこのトゲを感じることができない研究者はだいきらいなのです。
だから(以下自粛)

とりあえずなんでもかんでも「ノーマル」の枠にぎゅうぎゅうおしくらまんじゅうで入っていようとして、うっかりぽろっと出たやつはぼろっぼろに叩くようなワイドショー根性のやつは、この本を100ぺん読んで反省するがよい。

そして、そのワイドショー根性に浅ましさをおぼえてげんなりしてるひとは、この本を読んで、非常に複雑な心境になられるとよいと思います。
自閉症的感性、実はけっこうきれいよ。


そして今はジョナサン・キャロルの『死者の書』を読み始めたところ。
あれなんだかこの文章きもちいい。さすが津原氏大絶賛作家。
世間一般でいうところの「ダーク」な文章に安らぎをおぼえるようになってしまった。
しょうがないですね。ブラッドベリ言うところの「10月の子」ですからわたしも。いっひっひっひ。
魔女のおばあさんの膝の上でうたたねするくろねこになりたいですね。

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