めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
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寒くなってくるとやたらとイギリスのことが思い出される。
そう長く滞在したわけでもないのに。
そういうわけでイギリスの本を読むことにした。
まずはかるく、岩波さんのディケンズ短編集だ。
イギリスものだからってべたすぎるとかいうツッコミは禁止。

ディケンズといえば、ブラッドベリが焚書坑儒ディストピアものの 中で、「クリスマス・キャロル」に幽霊を出したせいで不本意ながら書を燃やされる側に立たされるキャラとして有名ですし(主にわたしの中だけだろいいかげんにしろ)、明るく写実的な書き手であってポーだのビアスだのといったブラッドベリ好みからかけ離れた作家かと思いきや、なかなかどうして、この短編集はどストレートにそっち系じゃないですか。
悪魔も幽霊も殺人事件もひょいひょい出てくるし、読んでるだけでこっちがいらいらしてくるような鬱屈した話(「ある自虐者の物語」とか)もあって、おまえこれどう言い訳したところで燃やされる側確定だろ!!と叫びたくなるくらいブラッドベリ好みです。
「子守り女の話」なんかは(自伝的色彩がつよいものらしいけど)、こどもが怖い話を聞かされてガクブルする話で、ブラッドベリの短編集に混じってても気付かずに読み過ごしてしまうんじゃないかってくらい親和性が高い。
それと、「子守り女の話」では童謡のような歌が登場する。まあ悪魔が歌うんですけど。
チップスというキャラクターに向かって
レモンに入っているのは、たね。
造船所に入っているのは、ふね。
おれさまの手に入るのは、チップスさね!
(小池滋・石塚裕子訳より引用)
とな。
この語尾の揃え方からいってさては脚韻しているな、と思ったのですが、ふね(Ships)とチップス(Chips)はすぐわかったもののたねに当たるものなんだ…?と首を傾げた次第。
ぴょっぴょと調べるとどうもPipsが相当するようす。
この単語つかったことねえー。語彙少ないなー自分…。
てーかディケンズならもう原文公開されてんのじゃね?と思ったけど、この短編集はあっちこっちの小説から挿入話をひっぱってきたものらしいし、「子守り女の話」自体はもともとはエッセイ集に収録されたものらしくてグーテンブルグプロジェクトにそれっぽいの が見当たらない。
まあいっか。
それよか、英語でだらだら読む訓練に他のを読んだ方がいいかもしれない。
とりあえずグーテンブルグのリンクを貼っておく
http://www.gutenberg.org/ebook s/search/?query=Dickens
岩波さん収録の中でわたしが気に入ったのは、最初の「墓堀り男をさらった鬼の話」、「追いつめられて」、「信号手」ですな。
「墓堀り男をさらった鬼の話」は超コンパクト版クリスマス・キャロル。だけど陰鬱なイングランドの風景、とくにお墓の風景がブラッドベリ好みを直撃する。
「追いつめられて」はミステリというかサスペンスというかまあそういう話なんだけど、ものすごくブリティッシュサスペンスドラマっぽい味わい。いやまあ逆だろうけどさ!こういうの好む視聴者向けに、サスペンスドラマ作ってるんだろうけどさ!
BBCとかがドラマ化してないのかなあ。してたら見たい。
「信号手」もまたブラッドベリ好みを直撃というか、百閒先生とかの幽暗な空気も近い、いかにも古典幻想小説といった味わい。お好 きな人にはたまらないタイプのやつですな。
心理っぽい話をするなら、「狂人の手記」はあからさまに統合失調症っぽい。
テンションの乱高下といい人が自分の悪口を言っていると思い込んでしまうさまといい内なる声との対話といい、これ現代なら診断つくよなあ、と思わせられる。
やっぱり医療の進歩ってだいじだなあ。
今、難治といわれている疾患も、将来的にはもう少しよいアプローチが開発されるのかなあ。
そうだといいなあ。
まあそんなかんじで、言い訳の利かないレベルでブラッドベリ好みをぶん殴ってくる短編集でしたので、ブラッドベリ好きならやはりこのあたりは押さえておくべきだな…と実感した次第。
古典ってけっこう読まずにスルーしてるの多いけど、時間と国境のフィルタで濾されて残ってるだけあって、やっぱ読んでみると面白いんだよなあ。
古典パワ、あなどれない。
そう長く滞在したわけでもないのに。
そういうわけでイギリスの本を読むことにした。
まずはかるく、岩波さんのディケンズ短編集だ。
イギリスものだからってべたすぎるとかいうツッコミは禁止。
ディケンズといえば、ブラッドベリが焚書坑儒ディストピアものの 中で、「クリスマス・キャロル」に幽霊を出したせいで不本意ながら書を燃やされる側に立たされるキャラとして有名ですし(主にわたしの中だけだろいいかげんにしろ)、明るく写実的な書き手であってポーだのビアスだのといったブラッドベリ好みからかけ離れた作家かと思いきや、なかなかどうして、この短編集はどストレートにそっち系じゃないですか。
悪魔も幽霊も殺人事件もひょいひょい出てくるし、読んでるだけでこっちがいらいらしてくるような鬱屈した話(「ある自虐者の物語」とか)もあって、おまえこれどう言い訳したところで燃やされる側確定だろ!!と叫びたくなるくらいブラッドベリ好みです。
「子守り女の話」なんかは(自伝的色彩がつよいものらしいけど)、こどもが怖い話を聞かされてガクブルする話で、ブラッドベリの短編集に混じってても気付かずに読み過ごしてしまうんじゃないかってくらい親和性が高い。
それと、「子守り女の話」では童謡のような歌が登場する。まあ悪魔が歌うんですけど。
チップスというキャラクターに向かって
レモンに入っているのは、たね。
造船所に入っているのは、ふね。
おれさまの手に入るのは、チップスさね!
(小池滋・石塚裕子訳より引用)
とな。
この語尾の揃え方からいってさては脚韻しているな、と思ったのですが、ふね(Ships)とチップス(Chips)はすぐわかったもののたねに当たるものなんだ…?と首を傾げた次第。
ぴょっぴょと調べるとどうもPipsが相当するようす。
この単語つかったことねえー。語彙少ないなー自分…。
てーかディケンズならもう原文公開されてんのじゃね?と思ったけど、この短編集はあっちこっちの小説から挿入話をひっぱってきたものらしいし、「子守り女の話」自体はもともとはエッセイ集に収録されたものらしくてグーテンブルグプロジェクトにそれっぽいの
まあいっか。
それよか、英語でだらだら読む訓練に他のを読んだ方がいいかもしれない。
とりあえずグーテンブルグのリンクを貼っておく
http://www.gutenberg.org/ebook
岩波さん収録の中でわたしが気に入ったのは、最初の「墓堀り男をさらった鬼の話」、「追いつめられて」、「信号手」ですな。
「墓堀り男をさらった鬼の話」は超コンパクト版クリスマス・キャロル。だけど陰鬱なイングランドの風景、とくにお墓の風景がブラッドベリ好みを直撃する。
「追いつめられて」はミステリというかサスペンスというかまあそういう話なんだけど、ものすごくブリティッシュサスペンスドラマっぽい味わい。いやまあ逆だろうけどさ!こういうの好む視聴者向けに、サスペンスドラマ作ってるんだろうけどさ!
BBCとかがドラマ化してないのかなあ。してたら見たい。
「信号手」もまたブラッドベリ好みを直撃というか、百閒先生とかの幽暗な空気も近い、いかにも古典幻想小説といった味わい。お好
心理っぽい話をするなら、「狂人の手記」はあからさまに統合失調症っぽい。
テンションの乱高下といい人が自分の悪口を言っていると思い込んでしまうさまといい内なる声との対話といい、これ現代なら診断つくよなあ、と思わせられる。
やっぱり医療の進歩ってだいじだなあ。
今、難治といわれている疾患も、将来的にはもう少しよいアプローチが開発されるのかなあ。
そうだといいなあ。
まあそんなかんじで、言い訳の利かないレベルでブラッドベリ好みをぶん殴ってくる短編集でしたので、ブラッドベリ好きならやはりこのあたりは押さえておくべきだな…と実感した次第。
古典ってけっこう読まずにスルーしてるの多いけど、時間と国境のフィルタで濾されて残ってるだけあって、やっぱ読んでみると面白いんだよなあ。
古典パワ、あなどれない。
http://www.afpbb.com/articles/ -/3065637
なんか地名に見覚えあると思ったら、『ブリキの太鼓』(こちらのめも参照)の舞台となった街の話だった。
なんか地名に見覚えあると思ったら、『ブリキの太鼓』(こちらのめも参照)の舞台となった街の話だった。
かの地の博物館の庭からヒトラーの頭部像が出てきたのだという。
博物館館長の「これは微妙な問題だ」というコメントから、肯定も 否定もできないどうしようにもなさがうかがえる。
ヒトラーだから悪いものだ、と簡単に断じることができるのは、な んら関わりを持っていない人々だけなんだろう。
いやもちろん、ナチスが行った非人道的所業を許せるわけではない のだけど、でも当時ナチス寄りだった人やその子どもが現に生きて いる場所で、声高に彼らの過去を否定して回ることなんてできない だろう。
「分裂した街」はまだその余波を引きずっているのだろう。
こんなに傷の生々しい「過去」はまだ「歴史」とは呼べない。
博物館館長の「これは微妙な問題だ」というコメントから、肯定も
ヒトラーだから悪いものだ、と簡単に断じることができるのは、な
いやもちろん、ナチスが行った非人道的所業を許せるわけではない
「分裂した街」はまだその余波を引きずっているのだろう。
こんなに傷の生々しい「過去」はまだ「歴史」とは呼べない。
いろいろあるので時間操作を激しくすることにした。
うーんSFだなあ。
うーんSFだなあ。
前回のめもで、ずーしーほっきー山椒魚に知性があったらSFの話をしていましたが。
両生類どころか、魚類だってなかなか捨てたもんじゃありませんぜという研究が発表されていたようす。
大阪市立大学の発表はこちら
統廃合うんぬんの話のある機関ですので、情報迷子にならないように概要をめもっておこう。
Frontiers in Ecology and Evolution誌に、幸田正典(こうだ まさのり)教授らのグループが、魚類でもいわゆる三段論法な推論ができるという研究を発表したそうな。
オンラインジャーナルなのでここから本文にアクセス可能。
三段論法の何がすごいかというと、いわゆる直接的な連合学習では"ない"というところですよね。
「AならばB」、「BならばC」という前提から「AならばC」という結論(行動)を導き出すわけですが、AとCを直接比較したり結びつけたりはしておらず、前提どうしの関係を考えられないと結論は導き出せない。ここがポイントになるわけです。
だいたい非霊長類が一見ちょっとかしこそーな行動をとったところでよく出てくるのは「それって連合学習で説明できるんじゃないの?」という批判ですからね(明確なソースはなくちっぽけな経験談ですが)。
連合学習で説明できないようなことを非霊長類、それも非哺乳類・非鳥類がやってしまうというところがインパクトあります。
さらに、動物がどれくらいかしこいのかを見積もる指標の一つとして、「脳化指数」ってのがありますよね(Wikipediaリンクこちら)。
まああれさんざっぱらあてにならない言われてますけど、それでも一応めやすとしてまだつかう人もそれなりにいるらしいんですね。
んで、魚類はやっぱり脳化指数低そうなんですが(種類違うけどとりあえず検索して出てきた日本語論文→Jstageへのリンク)、それでも三段論法ぐらいはできてしまう、と。
やっぱ脳化指数あんまりめやすにならんなー。
あとまあこの先の議論としては、三段論法を検討した課題内容がわりと社会的なものなので、1)社会性のある魚類なら同様のことが可能なのか、2)この種であっても、非社会的な内容の三段論法は可能なのか、3)社会性のない魚類には三段論法はできないのか、というような点について考えていかないとなー。
まあそのへんは魚類研究者のひとががんばってくれるにちがいない。
まーわりとヒトが社会的な生き物なせいで、わりと知性的な行動と社会的な行動を絡めて考える研究が多いっぽい(私見)んですが、本来ならば知性と社会性って別物なはずなんですよねー。
ヒトの尺度ではうまくすくいとれないけど、社会性低くて知性の高い種がいてもふしぎはない。
そういうところをうまくすくいとれるように考えるのが、実験心理屋さんのすごいところだと思うんだけどなー。誰かやんないかなー(他人任せ←まあわたし比較心理の経験ないし…)。
こういったことまるまる含め、ヒトと他種の比較含め、「じゃあ知性って何よ?」という議論が、再びアツくなったりしないかなー。
したところでわたしが口をはさめる可能性は低いかもしれませんが、それでも面白いからぜひ議論再燃してくれ、と思います。
(実行機能系の話になったらワンチャンある?しかしヒト以外の種の実行機能ってどうやって測定するんだろ。今度しらべてみよ)
いやーやっぱ実験心理のフレームワークおもろいわ。
両生類どころか、魚類だってなかなか捨てたもんじゃありませんぜという研究が発表されていたようす。
大阪市立大学の発表はこちら
統廃合うんぬんの話のある機関ですので、情報迷子にならないように概要をめもっておこう。
Frontiers in Ecology and Evolution誌に、幸田正典(こうだ まさのり)教授らのグループが、魚類でもいわゆる三段論法な推論ができるという研究を発表したそうな。
オンラインジャーナルなのでここから本文にアクセス可能。
三段論法の何がすごいかというと、いわゆる直接的な連合学習では"ない"というところですよね。
「AならばB」、「BならばC」という前提から「AならばC」という結論(行動)を導き出すわけですが、AとCを直接比較したり結びつけたりはしておらず、前提どうしの関係を考えられないと結論は導き出せない。ここがポイントになるわけです。
だいたい非霊長類が一見ちょっとかしこそーな行動をとったところでよく出てくるのは「それって連合学習で説明できるんじゃないの?」という批判ですからね(明確なソースはなくちっぽけな経験談ですが)。
連合学習で説明できないようなことを非霊長類、それも非哺乳類・非鳥類がやってしまうというところがインパクトあります。
さらに、動物がどれくらいかしこいのかを見積もる指標の一つとして、「脳化指数」ってのがありますよね(Wikipediaリンクこちら)。
まああれさんざっぱらあてにならない言われてますけど、それでも一応めやすとしてまだつかう人もそれなりにいるらしいんですね。
んで、魚類はやっぱり脳化指数低そうなんですが(種類違うけどとりあえず検索して出てきた日本語論文→Jstageへのリンク)、それでも三段論法ぐらいはできてしまう、と。
やっぱ脳化指数あんまりめやすにならんなー。
あとまあこの先の議論としては、三段論法を検討した課題内容がわりと社会的なものなので、1)社会性のある魚類なら同様のことが可能なのか、2)この種であっても、非社会的な内容の三段論法は可能なのか、3)社会性のない魚類には三段論法はできないのか、というような点について考えていかないとなー。
まあそのへんは魚類研究者のひとががんばってくれるにちがいない。
まーわりとヒトが社会的な生き物なせいで、わりと知性的な行動と社会的な行動を絡めて考える研究が多いっぽい(私見)んですが、本来ならば知性と社会性って別物なはずなんですよねー。
ヒトの尺度ではうまくすくいとれないけど、社会性低くて知性の高い種がいてもふしぎはない。
そういうところをうまくすくいとれるように考えるのが、実験心理屋さんのすごいところだと思うんだけどなー。誰かやんないかなー(他人任せ←まあわたし比較心理の経験ないし…)。
こういったことまるまる含め、ヒトと他種の比較含め、「じゃあ知性って何よ?」という議論が、再びアツくなったりしないかなー。
したところでわたしが口をはさめる可能性は低いかもしれませんが、それでも面白いからぜひ議論再燃してくれ、と思います。
(実行機能系の話になったらワンチャンある?しかしヒト以外の種の実行機能ってどうやって測定するんだろ。今度しらべてみよ)
いやーやっぱ実験心理のフレームワークおもろいわ。
チャペックの山椒魚戦争よんだよー。
数少ない岩波文庫に入っているSF。ってかこれ以外に岩波さん収録のSFってあったっけ。
カルヴィーノとかがそうか。
まあいいや。とりあえず古典SFですよ古典SF。
レトロフューチャーですよ。
ざっぱなところのあらすじはタイトルのとおり、そして世間に知られているとおり、山椒魚が文明もって(まあこれを文明って言ってしまっていいのかどうかわからんけども)戦争に至る話ですよ。
まああらすじだけおっかけたところで今更感はげしいのですが。そこはこちとら文体もぐもぐラヴァー、話運びは大いに楽しむことができました。
『山椒魚戦争』は一貫した主人公・語り手の物語ではなく、資料の集大成という体で編まれているので、山椒魚に関するいくつかのエピソードをばらばらに読んでいくことになります。
解説によるとそれぞれの寄せ集めっぷりを見せるために、原本のほうはフォントやら文字色やらいろいろ工夫されていたらしいのですが、岩波さんのは文庫の制限があってそれを再現できなかったそうな。
そこだけは残念なところ。
とはいえ、レトロフューチャーといえど各エピソードはそれぞれぴりりと皮肉が聞いていて、読んでいて思わず笑ってしまうこともしばしば。
わたしの特にお気に入りな箇所は以下のエピソードですね。
1)最初のほうのエピソード、若者たちが単語を学習した山椒魚に出会うところ。
これはもう爆笑もの。
ゾンビ映画の序盤にジョックが惨殺されるのをげらげら笑っちゃう人はこのエピソード好きなんじゃないかな。
まあ山椒魚によるジョックの惨殺を期待すると肩すかしをくらうんですけど(ネタバレごめん)、ゾンビ映画のジョックパートで描かれるような若者の莫迦っぷりと欺瞞と微かに芽生えだすそれらへの自覚がふんだんに盛り込まれていて楽しめます。
このエピソードの最後のオチ、わたしは本当にげらげら笑い出してしまうくらい好きですね。
若いってのはそういうことだよなあ、と。
2)山椒魚に”精神”はあるかと各界の有識者が論じるエピソード
まあわたしも心理屋さんなので、そういうエピソードがあれば気になるしやっぱ面白いよね!
戯画化された研究者たちの議論は、若干露悪的なところもあるんですが、まあ方法論の限られてた時代だし仕方ないよねー感と、にしてもこんな言われようか…というしょっぱさともないませになって、なかなかシニカルな気持ちになって楽しめます。
それにこのエピソードの白眉は各界著名人が「山椒魚に精神があるかないか」コメントした体のアンケートですよ。
トスカニーニとかバーナード・ショーとかメイ・ウェストとか、その時代の実在の人物とおそらく架空の人物が入り乱れてコメントするんですけどこれがまあいかにもそれっぽいんですよ。
まあ基本的に山椒魚の精神の存在を否定するスタンスなんですが、それぞれの立場からどう答えるか、それは転じてそれぞれの立場における「精神とはいかなるものか」という考えを反映しておるんですね。
こりゃもう笑わずにはいられませんよ。
必見です。
3)ラスト
これはもうネタバレに次ぐネタバレなのであえて詳しい内容は言いませんが、古典と思って油断してたらそうくるのかよ!と。
まあ多くは語りますまい。
こればっかりは、初見の楽しみを奪うと何にもならないからねえ。
まあそんなかんじで古典ながらなかなか楽しめました。
チャペックといえば「ロボット」という単語の生みの親としても有名ですが、『山椒魚戦争』は「ロボット」初出となる『R.U.R.』と共通したモティーフであるそうな。
いわゆる「ディストピアもの」ですね。
チャペックの生涯とその時代からいってディストピアものになるのは当然の帰結なんだけど、それにしても時代を超えて、知的生命体や知的機械に対するいわれなき(根拠が挙げられてる場合もあるけど)恐怖ってのがいろんな作家に描かれるのはどういうわけか。
たしかブラッドベリにも、友好的で知能も高いけど見た目は巨大なクモっていうエイリアンを見た目が生理的に無理とかいう理由だけで虐殺する短編あったし。
やっぱキリスト教系の、「ヒトは神様の似姿として創造され、ヒト以外の被創造物はヒトのために存在する下等なもの」みたいな世界観が根強いのか。
日本みたいなアニミズムがつよくて「一切衆生悉有仏性」なんて考え方が出てくるようなところでは、『ドラえもん』とか『チンプイ』なんだよなあ。
(実は『チンプイ』はよく知らないのだけど)
いやまあキリスト教圏にも『E.T.』とか『グレムリン』とかあるけどね。でもどっちかってーといわれなき恐怖を示すのが多い気がする。
知らんもんが怖いのは当然っちゃー当然なんだけど。
そのへん、『Paul』でも最初の出会いはいわれなき恐怖が端的に描かれていたしなあ。
(過去めも参照)
ヒト以外の知的な何か=怖いもの、って知識が流布しているのではないかと。
それってあんまりうまくない態度だと思うんだけどなあ。
とりあえずこういうときは「イルカが攻めてきたぞ!」って言っておけばいいような気もする。
山椒魚に話を戻すと、実はわたしこれを読んでいる間なぜか山椒魚のイメージがずーしーほっきーで固定されてしまっていた。
(公式参照のこと。なお、画像集のほうがイメージしやすいかも)
山椒魚の体色は黒いって描写してあるだろ!いい加減にしろ!
とはいえ、色以外の描写からイメージされるあたまのかんじ、手足のかんじ、そして得体のしれないかんじが、ずーしーほっきーみたいな絵だとしっくりくるんだよなあ……
「山椒魚くらい別にこわくないだろ」と思ってしまうわたしみたいなやつは、ずーしーほっきーイメージして読むと、登場人物のぞわぞわ感が楽しめるかもしれない。
ずーしーほっきーがフリー素材としてつかえたら(公開されてる画像を編集するのはNGみたい)、黒塗りして山椒魚イメージ図作れるんだけどなー。
結論:ずーしーほっきーやっぱこわい。
あと、山椒魚の骨がヒトみたいに見えるっていわれた事件のことは前から知ってたんだけど、これ読んでも検証記事読んでも「それはねーよ……」ってなる。
山椒魚かわいいのにね。
さて、京都水族館にでも行って山椒魚を見てくるか。
(画像はちょと古いの)
数少ない岩波文庫に入っているSF。ってかこれ以外に岩波さん収録のSFってあったっけ。
カルヴィーノとかがそうか。
まあいいや。とりあえず古典SFですよ古典SF。
レトロフューチャーですよ。
ざっぱなところのあらすじはタイトルのとおり、そして世間に知られているとおり、山椒魚が文明もって(まあこれを文明って言ってしまっていいのかどうかわからんけども)戦争に至る話ですよ。
まああらすじだけおっかけたところで今更感はげしいのですが。そこはこちとら文体もぐもぐラヴァー、話運びは大いに楽しむことができました。
『山椒魚戦争』は一貫した主人公・語り手の物語ではなく、資料の集大成という体で編まれているので、山椒魚に関するいくつかのエピソードをばらばらに読んでいくことになります。
解説によるとそれぞれの寄せ集めっぷりを見せるために、原本のほうはフォントやら文字色やらいろいろ工夫されていたらしいのですが、岩波さんのは文庫の制限があってそれを再現できなかったそうな。
そこだけは残念なところ。
とはいえ、レトロフューチャーといえど各エピソードはそれぞれぴりりと皮肉が聞いていて、読んでいて思わず笑ってしまうこともしばしば。
わたしの特にお気に入りな箇所は以下のエピソードですね。
1)最初のほうのエピソード、若者たちが単語を学習した山椒魚に出会うところ。
これはもう爆笑もの。
ゾンビ映画の序盤にジョックが惨殺されるのをげらげら笑っちゃう人はこのエピソード好きなんじゃないかな。
まあ山椒魚によるジョックの惨殺を期待すると肩すかしをくらうんですけど(ネタバレごめん)、ゾンビ映画のジョックパートで描かれるような若者の莫迦っぷりと欺瞞と微かに芽生えだすそれらへの自覚がふんだんに盛り込まれていて楽しめます。
このエピソードの最後のオチ、わたしは本当にげらげら笑い出してしまうくらい好きですね。
若いってのはそういうことだよなあ、と。
2)山椒魚に”精神”はあるかと各界の有識者が論じるエピソード
まあわたしも心理屋さんなので、そういうエピソードがあれば気になるしやっぱ面白いよね!
戯画化された研究者たちの議論は、若干露悪的なところもあるんですが、まあ方法論の限られてた時代だし仕方ないよねー感と、にしてもこんな言われようか…というしょっぱさともないませになって、なかなかシニカルな気持ちになって楽しめます。
それにこのエピソードの白眉は各界著名人が「山椒魚に精神があるかないか」コメントした体のアンケートですよ。
トスカニーニとかバーナード・ショーとかメイ・ウェストとか、その時代の実在の人物とおそらく架空の人物が入り乱れてコメントするんですけどこれがまあいかにもそれっぽいんですよ。
まあ基本的に山椒魚の精神の存在を否定するスタンスなんですが、それぞれの立場からどう答えるか、それは転じてそれぞれの立場における「精神とはいかなるものか」という考えを反映しておるんですね。
こりゃもう笑わずにはいられませんよ。
必見です。
3)ラスト
これはもうネタバレに次ぐネタバレなのであえて詳しい内容は言いませんが、古典と思って油断してたらそうくるのかよ!と。
まあ多くは語りますまい。
こればっかりは、初見の楽しみを奪うと何にもならないからねえ。
まあそんなかんじで古典ながらなかなか楽しめました。
チャペックといえば「ロボット」という単語の生みの親としても有名ですが、『山椒魚戦争』は「ロボット」初出となる『R.U.R.』と共通したモティーフであるそうな。
いわゆる「ディストピアもの」ですね。
チャペックの生涯とその時代からいってディストピアものになるのは当然の帰結なんだけど、それにしても時代を超えて、知的生命体や知的機械に対するいわれなき(根拠が挙げられてる場合もあるけど)恐怖ってのがいろんな作家に描かれるのはどういうわけか。
たしかブラッドベリにも、友好的で知能も高いけど見た目は巨大なクモっていうエイリアンを見た目が生理的に無理とかいう理由だけで虐殺する短編あったし。
やっぱキリスト教系の、「ヒトは神様の似姿として創造され、ヒト以外の被創造物はヒトのために存在する下等なもの」みたいな世界観が根強いのか。
日本みたいなアニミズムがつよくて「一切衆生悉有仏性」なんて考え方が出てくるようなところでは、『ドラえもん』とか『チンプイ』なんだよなあ。
(実は『チンプイ』はよく知らないのだけど)
いやまあキリスト教圏にも『E.T.』とか『グレムリン』とかあるけどね。でもどっちかってーといわれなき恐怖を示すのが多い気がする。
知らんもんが怖いのは当然っちゃー当然なんだけど。
そのへん、『Paul』でも最初の出会いはいわれなき恐怖が端的に描かれていたしなあ。
(過去めも参照)
ヒト以外の知的な何か=怖いもの、って知識が流布しているのではないかと。
それってあんまりうまくない態度だと思うんだけどなあ。
とりあえずこういうときは「イルカが攻めてきたぞ!」って言っておけばいいような気もする。
山椒魚に話を戻すと、実はわたしこれを読んでいる間なぜか山椒魚のイメージがずーしーほっきーで固定されてしまっていた。
(公式参照のこと。なお、画像集のほうがイメージしやすいかも)
山椒魚の体色は黒いって描写してあるだろ!いい加減にしろ!
とはいえ、色以外の描写からイメージされるあたまのかんじ、手足のかんじ、そして得体のしれないかんじが、ずーしーほっきーみたいな絵だとしっくりくるんだよなあ……
「山椒魚くらい別にこわくないだろ」と思ってしまうわたしみたいなやつは、ずーしーほっきーイメージして読むと、登場人物のぞわぞわ感が楽しめるかもしれない。
ずーしーほっきーがフリー素材としてつかえたら(公開されてる画像を編集するのはNGみたい)、黒塗りして山椒魚イメージ図作れるんだけどなー。
結論:ずーしーほっきーやっぱこわい。
あと、山椒魚の骨がヒトみたいに見えるっていわれた事件のことは前から知ってたんだけど、これ読んでも検証記事読んでも「それはねーよ……」ってなる。
山椒魚かわいいのにね。
さて、京都水族館にでも行って山椒魚を見てくるか。
(画像はちょと古いの)
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もっさり:日々の雑感をもっさり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
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あと記憶全般。
カテゴリ (semanticsか?) とかも。
最近デコーディングが気になる。
でも基本なんでもこい。
好奇心は悪食。
好きな作家(敬称略)
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