めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
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まあ前述のとおりの状況なので,研究ネタでのめもぶろぐ更新は滞る可能性があります.
とりあえず今のところは,研究以外のネタを消費しておきます.
住み慣れた土地を離れると,まず気になるのは植生の違いですよね!
今回の滞在で目に留まったのは,buttercupと呼ばれる雑草.
そう,雑草扱いなんですよねこの花.
もうそこらへんに生えてくる.
今はもうだいぶ数も少なくなって来ましたが,1ヶ月前はもうそこらじゅうに生えてました.
今滞在しているところには庭があって,数週間に一度芝刈りされて手入れされているのですが,
芝刈り直後はこんなふうに縞模様つくってならされていても,
2週間後はこんなかんじにbuttercupが生えています(黄色い点がみんなそう).
生命力&繁殖力つよいなー.
これは日本でいうところの「キンポウゲ」に相当する種なのですが,わたしのふたしかな記憶ではキンポウゲとbuttercupは違う種だったと思われます.
buttercupは花弁の表面がクチクラ層か何かで覆われているので,てらてらぴかぴか光ります.そのようすがバター(溶けたやつ?)を湛えているようだ,というのでbuttercupと呼ばれるようになった,という話を聞いたことがあります.
実際ぴかぴかしています.
ちょっと露出あげ気味に撮っただけでもこんなふうになっちゃいます.
実際の花の内部はこんなかんじですが.
んでも日本のキンポウゲはそんなふうにぴかぴかした花弁ではないみたい.
そもそも日本でキンポウゲって自生しているのだろうか.
むしろ園芸品種のがいっぱいありそう.
園芸品種といえば,実はキンポウゲやbuttercupって同じ「Ranunculus」という属なのですね(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%82%B9).これ,名前が示すとおりお花屋さんで親しまれているラナンキュラスも同じ属.
ということはラナンキュラスはキンポウゲかbuttercupを八重にした園芸品種ということか.
んでもってバイカモもこの仲間らしい.
そっちのがびっくり.
バイカモはこどもの頃住んでいたところの近所の川にもはえていました.
「藻でも花がさくんだー」とぽけーっと思っていたのですが,長じてからバイカモってえっらい希少(きれいな川でしか育たない)と知って衝撃を受けた記憶があります.
まああの川蛍とかも大量にいたし・・・
もう1つキンポウゲに関する記憶を挙げると,小林秀雄の『おふぃりや遺文』でオフィーリアがキンポウゲの花冠について話すくだりがあったと思うのですが,舞台がデンマークなことを考えるとあれってキンポウゲというよりbuttercupなんじゃなかろうか.
あれ『ハムレット』原文にbuttercup出てきてたっけ?
というのを確認しようとして,昔大学図書館が18世紀文書無料公開したときにダウンロードしていたハムレット台本を読もうと思ったのですが,それもHDDの藻屑と消えました.
残念.
まあ確認する手段が見つかればそのときに確認してみよう.
こういう日本で見られない種が身近なかわりに,日本でよく見るワスレナグサっぽい雑草とかオオイヌノフグリとかはまったく見られません.
共通している種はというと,タンポポやシロツメクサなどですね.
あれ,シロツメクサってもともとは外来種じゃん・・・
あ,朝顔は庭に植えているひともたまにいます.
あとツユクサっぽいのを1回だけ見かけたことがある.
いやー植生の違いって本当に面白いなあ.
とりあえず今のところは,研究以外のネタを消費しておきます.
住み慣れた土地を離れると,まず気になるのは植生の違いですよね!
今回の滞在で目に留まったのは,buttercupと呼ばれる雑草.
そう,雑草扱いなんですよねこの花.
もうそこらへんに生えてくる.
今はもうだいぶ数も少なくなって来ましたが,1ヶ月前はもうそこらじゅうに生えてました.
今滞在しているところには庭があって,数週間に一度芝刈りされて手入れされているのですが,
芝刈り直後はこんなふうに縞模様つくってならされていても,
2週間後はこんなかんじにbuttercupが生えています(黄色い点がみんなそう).
生命力&繁殖力つよいなー.
これは日本でいうところの「キンポウゲ」に相当する種なのですが,わたしのふたしかな記憶ではキンポウゲとbuttercupは違う種だったと思われます.
buttercupは花弁の表面がクチクラ層か何かで覆われているので,てらてらぴかぴか光ります.そのようすがバター(溶けたやつ?)を湛えているようだ,というのでbuttercupと呼ばれるようになった,という話を聞いたことがあります.
実際ぴかぴかしています.
ちょっと露出あげ気味に撮っただけでもこんなふうになっちゃいます.
実際の花の内部はこんなかんじですが.
んでも日本のキンポウゲはそんなふうにぴかぴかした花弁ではないみたい.
そもそも日本でキンポウゲって自生しているのだろうか.
むしろ園芸品種のがいっぱいありそう.
園芸品種といえば,実はキンポウゲやbuttercupって同じ「Ranunculus」という属なのですね(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%82%B9).これ,名前が示すとおりお花屋さんで親しまれているラナンキュラスも同じ属.
ということはラナンキュラスはキンポウゲかbuttercupを八重にした園芸品種ということか.
んでもってバイカモもこの仲間らしい.
そっちのがびっくり.
バイカモはこどもの頃住んでいたところの近所の川にもはえていました.
「藻でも花がさくんだー」とぽけーっと思っていたのですが,長じてからバイカモってえっらい希少(きれいな川でしか育たない)と知って衝撃を受けた記憶があります.
まああの川蛍とかも大量にいたし・・・
もう1つキンポウゲに関する記憶を挙げると,小林秀雄の『おふぃりや遺文』でオフィーリアがキンポウゲの花冠について話すくだりがあったと思うのですが,舞台がデンマークなことを考えるとあれってキンポウゲというよりbuttercupなんじゃなかろうか.
あれ『ハムレット』原文にbuttercup出てきてたっけ?
というのを確認しようとして,昔大学図書館が18世紀文書無料公開したときにダウンロードしていたハムレット台本を読もうと思ったのですが,それもHDDの藻屑と消えました.
残念.
まあ確認する手段が見つかればそのときに確認してみよう.
こういう日本で見られない種が身近なかわりに,日本でよく見るワスレナグサっぽい雑草とかオオイヌノフグリとかはまったく見られません.
共通している種はというと,タンポポやシロツメクサなどですね.
あれ,シロツメクサってもともとは外来種じゃん・・・
あ,朝顔は庭に植えているひともたまにいます.
あとツユクサっぽいのを1回だけ見かけたことがある.
いやー植生の違いって本当に面白いなあ.
忙しくてめもぶろぐが更新できないと予想していた。
だが事実は明後日の方向だった。
外付けHDDがしんだ。
なんかもうカフカばりの不条理さでしんだ。
このへんが太陽いっぱいな海辺だったら事件に巻き込まれるレベルでしんだ。
あまりの不条理に現実から全力逃走しちゃうぐらいに。
なんでって、この外付けHDDにはわたしの研究に関するほぼすべてが入っている。
わたしの好みに合わせて集めに集めた文献アーカイブ。
実験刺激につかえそうな画像データベース。
現在検討中の実験計画。
書きかけの論文。
実験の分析結果。
…今月行く予定の学会のポスター…
もうね、泣くとかのレベルじゃなかった。
魂が抜けるとかそういうレベル。
しかも、しんだタイミングが、こっちのぼすとミーティングする日の朝。
「今朝HDDがしんだ。」
ってぼすに伝える間抜けさといったらもう。
そりゃあもう砂浜で乱射したくなるわ。
おかげでミーティングはたいそうぐだぐだになってひどいありさま。
こんな状態でのほほんとやってられるわけがない。
まあもちろんそのままあきらめたわけではありません。
あらゆる手を尽くしました。
というわけで、以下このような悲劇が起きたときの対処をめもしておきます。
ちなみに参考にしたのはこのサイト
あと、外付けHDDがうまく認識されなかったらまず電源供給を疑え、というのが昔は定番だったらしいですが、現在は電力不足を起こすHDDがほとんどないのでそのへんはもうスルーで。
症状:マイコンピュータに接続したHDDが表示されない
1)USB接続コードを変えてみる
これでどうにかなる場合はコードが故障しているだけなので新しくコードを買おう。
2)ほかのUSBポートにつないでみる
これで認識されたら、HDD認識しないUSBポートがしんでるということです。
現にわたしのノートPCのUSBポートは1こしんでます。
3)ほかのPCにつないでみる
これで認識される場合は、HDDを認識しないPC側に問題があるのでPCをいじる(4以降)だけで済む
4)USB接続のドライバを再インストール
「コンピュータの管理」のデバイスマネージャを起動
↓
USBコントローラのところにある外付けHDD相当のデバイス(USB大容量記憶装置デバイスとかそういうやつ)を右クリックして削除
↓
HDDひっこぬいてもういちど接続しなおす
↓
ドライバが再インストールされる
でOK。
と、いわれているけど個人的にはこの方法でUSB接続機器のトラブルが解決したことがない。
実際のところこれでなおる例ってどんなもんなのかしら。
5)ドライブレター割振りなおす
「コンピュータの管理」の「ディスクの管理」をひらく
↓
「ボリューム」のところにHDDに相当するやつがあるか確認する
↓
あったらそいつを右クリックで「ドライブ文字とパスの変更」
↓
「変更」でてきとうな文字をいれる
でOK。
まあわたしの場合は、この段階でもうっわー認識されてねえ!ってなったんですけどね!
6)パーティションの復元
5で開いた「ディスクの管理」のディスクで、「正常(不明なパーティション)」と表示される場合はドライブレターが変更できないそうな。
そういうときはTestDiskというツールをつかえばいいらしい。
今回はもうパーティションとかそういうレベルじゃなかったので参考リンクはるだけにする
参照すべきリンク
それとこのTestDiskというやつは、HDDが認識されるんだけど「ディスクがフォーマットされていません」って表示が出る場合の復旧にもつかえるらしい→またリンク
まあここまでで解決するならわりといいほう。
問題はここからだ。
ここからは、いわゆる「物理障害」への対処となる。
7)ハードディスクを取り出してPCに直接つなぐ
精密ドライバを用意する。
↓
なるべく埃の少ないところで、慎重にHDDの外装をはずす。
↓
ハードディスクを取り出す。
デスクトップPCがあるならばマザーボードにハードディスクを接続して(こういうサイト参考)データを移せばよろしい。
んが、何分今回は出先ゆえにノートPCしかありませぬ。
そういう場合はIDE/SATA-USB変換ケーブルを買ってきて、ハードディスクをUSB接続でつないでみればよろしい。
これで認識できれば、USB変換ブリッジかどこかの故障だったというわけです。
かつてわたしは電源部分が故障したPCのハードディスクのデータをこれで吸い出したことがありますし、USB変換ブリッジの故障というのも結構よくあるものらしいので、変換ケーブルは手元に置いておいて損はないアイテムですね。
PCに詳しいひとにおすすめされたのはこんなの↓
8)ハードディスクを開く
7でもアウトの場合は、もうハードディスクの中にエラーがあるとしか考えられないわけです。
データを記録するプラッタに傷がついているとかじゃなければ、一応データはまだ残っているはず…!
…んなのシロートができるわけないじゃんね…
というわけで今回はリカバリ業者に依頼しました。
まあ業者に依頼するなら7はしないほうがいいです。業者はたいていクリーンルーム持ってるので。
親切な業者で、HDD持ちこんだ日にどうも7相当まではぱっと無料で診断してくれました。
んで案の定ハードディスクの中に原因があることが確定しました。
なんか、HDDがしんでからはモーターがまわりかけて止まるような音がしてたんだよね…
今回、業者に依頼することを決心したのは、そこの業者が「データがリカバリできない場合は料金が発生しない」ことを掲げていたからです。
リカバリ業者って診断だけでお金かかることも多いし、データ復旧しなくても料金発生することが多々あるんですが、こういう業者もいるんですね。
ただ、そこはすっごい個人営業だったので、日本でも同様の業者がいるのかどうかは不明。
…なんにせよ、データが復旧することを祈り続けるしかない。
それと、腹をくくって学会ポスターだけは1から新しく作っといたほうがよさそうです。
今回デザインちょっと凝ってたのにな…(そこかよ)
結論:常にバックアップができるくらいの(おかねと空き容量の)余裕ないと研究はしんどい
…つらい。
だが事実は明後日の方向だった。
外付けHDDがしんだ。
なんかもうカフカばりの不条理さでしんだ。
このへんが太陽いっぱいな海辺だったら事件に巻き込まれるレベルでしんだ。
あまりの不条理に現実から全力逃走しちゃうぐらいに。
なんでって、この外付けHDDにはわたしの研究に関するほぼすべてが入っている。
わたしの好みに合わせて集めに集めた文献アーカイブ。
実験刺激につかえそうな画像データベース。
現在検討中の実験計画。
書きかけの論文。
実験の分析結果。
…今月行く予定の学会のポスター…
もうね、泣くとかのレベルじゃなかった。
魂が抜けるとかそういうレベル。
しかも、しんだタイミングが、こっちのぼすとミーティングする日の朝。
「今朝HDDがしんだ。」
ってぼすに伝える間抜けさといったらもう。
そりゃあもう砂浜で乱射したくなるわ。
おかげでミーティングはたいそうぐだぐだになってひどいありさま。
こんな状態でのほほんとやってられるわけがない。
まあもちろんそのままあきらめたわけではありません。
あらゆる手を尽くしました。
というわけで、以下このような悲劇が起きたときの対処をめもしておきます。
ちなみに参考にしたのはこのサイト
あと、外付けHDDがうまく認識されなかったらまず電源供給を疑え、というのが昔は定番だったらしいですが、現在は電力不足を起こすHDDがほとんどないのでそのへんはもうスルーで。
症状:マイコンピュータに接続したHDDが表示されない
1)USB接続コードを変えてみる
これでどうにかなる場合はコードが故障しているだけなので新しくコードを買おう。
2)ほかのUSBポートにつないでみる
これで認識されたら、HDD認識しないUSBポートがしんでるということです。
現にわたしのノートPCのUSBポートは1こしんでます。
3)ほかのPCにつないでみる
これで認識される場合は、HDDを認識しないPC側に問題があるのでPCをいじる(4以降)だけで済む
4)USB接続のドライバを再インストール
「コンピュータの管理」のデバイスマネージャを起動
↓
USBコントローラのところにある外付けHDD相当のデバイス(USB大容量記憶装置デバイスとかそういうやつ)を右クリックして削除
↓
HDDひっこぬいてもういちど接続しなおす
↓
ドライバが再インストールされる
でOK。
と、いわれているけど個人的にはこの方法でUSB接続機器のトラブルが解決したことがない。
実際のところこれでなおる例ってどんなもんなのかしら。
5)ドライブレター割振りなおす
「コンピュータの管理」の「ディスクの管理」をひらく
↓
「ボリューム」のところにHDDに相当するやつがあるか確認する
↓
あったらそいつを右クリックで「ドライブ文字とパスの変更」
↓
「変更」でてきとうな文字をいれる
でOK。
まあわたしの場合は、この段階でもうっわー認識されてねえ!ってなったんですけどね!
6)パーティションの復元
5で開いた「ディスクの管理」のディスクで、「正常(不明なパーティション)」と表示される場合はドライブレターが変更できないそうな。
そういうときはTestDiskというツールをつかえばいいらしい。
今回はもうパーティションとかそういうレベルじゃなかったので参考リンクはるだけにする
参照すべきリンク
それとこのTestDiskというやつは、HDDが認識されるんだけど「ディスクがフォーマットされていません」って表示が出る場合の復旧にもつかえるらしい→またリンク
まあここまでで解決するならわりといいほう。
問題はここからだ。
ここからは、いわゆる「物理障害」への対処となる。
7)ハードディスクを取り出してPCに直接つなぐ
精密ドライバを用意する。
↓
なるべく埃の少ないところで、慎重にHDDの外装をはずす。
↓
ハードディスクを取り出す。
デスクトップPCがあるならばマザーボードにハードディスクを接続して(こういうサイト参考)データを移せばよろしい。
んが、何分今回は出先ゆえにノートPCしかありませぬ。
そういう場合はIDE/SATA-USB変換ケーブルを買ってきて、ハードディスクをUSB接続でつないでみればよろしい。
これで認識できれば、USB変換ブリッジかどこかの故障だったというわけです。
かつてわたしは電源部分が故障したPCのハードディスクのデータをこれで吸い出したことがありますし、USB変換ブリッジの故障というのも結構よくあるものらしいので、変換ケーブルは手元に置いておいて損はないアイテムですね。
PCに詳しいひとにおすすめされたのはこんなの↓
8)ハードディスクを開く
7でもアウトの場合は、もうハードディスクの中にエラーがあるとしか考えられないわけです。
データを記録するプラッタに傷がついているとかじゃなければ、一応データはまだ残っているはず…!
…んなのシロートができるわけないじゃんね…
というわけで今回はリカバリ業者に依頼しました。
まあ業者に依頼するなら7はしないほうがいいです。業者はたいていクリーンルーム持ってるので。
親切な業者で、HDD持ちこんだ日にどうも7相当まではぱっと無料で診断してくれました。
んで案の定ハードディスクの中に原因があることが確定しました。
なんか、HDDがしんでからはモーターがまわりかけて止まるような音がしてたんだよね…
今回、業者に依頼することを決心したのは、そこの業者が「データがリカバリできない場合は料金が発生しない」ことを掲げていたからです。
リカバリ業者って診断だけでお金かかることも多いし、データ復旧しなくても料金発生することが多々あるんですが、こういう業者もいるんですね。
ただ、そこはすっごい個人営業だったので、日本でも同様の業者がいるのかどうかは不明。
…なんにせよ、データが復旧することを祈り続けるしかない。
それと、腹をくくって学会ポスターだけは1から新しく作っといたほうがよさそうです。
今回デザインちょっと凝ってたのにな…(そこかよ)
結論:常にバックアップができるくらいの(おかねと空き容量の)余裕ないと研究はしんどい
…つらい。
ちょっと出張してくるのですが、出張先のネットがあんまし確保できてないので、しばらく更新できない可能性があります。
すみません。
あとなんか、このめもめもにはSFネタよりも統計ネタとかMRIネタを求められてるらしいのですが、期待にお応えできるかはわかりません。
すみません。
まあなんかわたしの琴線にふれてそのときネットがつかえたらなんか書きます。
たぶん。
すみません。
あとなんか、このめもめもにはSFネタよりも統計ネタとかMRIネタを求められてるらしいのですが、期待にお応えできるかはわかりません。
すみません。
まあなんかわたしの琴線にふれてそのときネットがつかえたらなんか書きます。
たぶん。
『アタック・ザ・ブロック』でつらつら述べた「階級」とその文化に関して、いわゆる“下層”階級においては特有の文化を持ちそれを肯定することで連帯感や充足を持とうとするけどそのせいで「階級」の世襲や固定につながってしまうという言説ってもともとどこで聞いた話だったかなあ、というのを思い返してみた。
あれだ学部生んときの講義だ。
アメリカの黒人居住区域(いわゆる「ハーレム」とか)の研究をしている先生の社会学の講義で聞いたんだわ。
講義で観た映画がどまんなかに象徴的だった。
貧しい(といっても家の中の調度品はわりと豪華で、映画の「つくりもの」感が出てしまったのか,家具つき住宅だったから可能だったのかは不明)黒人の母親が、裕福な親戚のところへ娘(主人公)を里子に出すという話なんだけど、母親は主人公の娘をそれまで黒人文化の中で育ててきていて、裕福な親戚は(裕福ゆえにか)白人文化に染まろうとしているので、里子にきた娘にも白人文化を真綿のようなやり方で強制していく、といった内容だったように思う(うろおぼえ)。
いわゆるアフロ=アメリカンなかんじの細いみつあみいっぱい作るような髪形してた娘に、ストレートパーマかけさせたりね。
「なるべく色白のほうがいい」とか。
まあ娘は反発するし、当時のあほなわたしは「おかあさんが編んでくれたみつあみ否定されるなんて娘かわいそう」みたいなあほなことしか考えられなかったわけですが。
「富を持つ」=「幸福」という図式にのっかるには、富を持たない文化を否定するという方法もしかたなかったのかもしれない。
他にも、黒人居住地域では“出産”は“結婚”とイコールではなく、“結婚”自体もたいそうもろいという話が講義であったな。
必然、シングルマザーが多くなるわけだ。
男性のほうでも、「(性的関係を持つことになった女性に対して)あんまり気に入る子じゃなければ避妊をちゃんとするけど、いい子だと思ったらしない」みたいなことを言ってたりして、日本にいるわたしたちの倫理観とはかけ離れていることに驚いた。
「子どもを生む」=「幸福」であって、「子どもに十分な教育を受けさせる」とかはそこにはカウントされてないのだ。
こういう文化を肯定しこういう文化で生きていくならば、教育が賃金に反映される国において「下層」は固定されてしまう。
今となっては日本でも当たり前のように言われる言説だけど、何年か前はそんな話(表向きには)影も形もなかった。
まあそれは、「現代日本には貧困は存在しない」ような幻想がそれなりに共有されていたせいだと思うけど。
だが、「下層」文化を否定することは正しいと果たして言えるのか?
貧しい階級の文化・出自を否定し、富を持つ集団に入り込もうとすることは一意的に「幸福」といえるのか?
このへんになってくると、哲学屋さんのめしのたね「解けない問い」になってくるのだなあ。
まあそんなかんじで、昔の講義で得た知識なんかがじわっと映画の見方から社会の見方やら人生観やらに影響してくるわけですね。
昨日でてた研究会で、「人文系の研究者は、研究者のすべての発言にはその人の今までの(研究といったパブリックな性格もそれ以外のプライベートなものも)経験・文化・バックグラウンドが現れる」という話が出たのだけども、実際わたしに置き換えても上記の通りなわけで。
そいえばわたしがアンチ・チョムスキアンなのは高校んときの先輩が「今どきチョムスキーを支持してるやつは阿呆」と放言して憚らなかったからだし、MRI実験するときなど建前はともかく実験者と被験者が非対等であることを意識するのはフーコーらへんの話で医療(対患者)の権力構造という講義を受けてたからだし、オカルト話につい興味が湧くのは現代の民俗学材料であると少ない民俗学知識でも判断できるからだし、○○○は××なんて思ってるのはその内幕をちらっとだけ見たからだし、今までに受け取ったありとあらゆる言説がわたしの思考を方向づけているのは明らか。
つまり、「役に立たない」学問なんかない。
理屈づけなくても、わたし自身が体感していたのだった。
専門領域外で受けた講義であっても、直接おかねがもうからない知識でも、今のわたしの思考を形作っている。
ちゃんと役に立っている。
これが「教養」というものではないか。
「教養」にならない学問なんてない。
ただし、これは「一般教養」ではない。
教科書的に学んだものではない。
研究者が自分の研究に関する講義を通じて学生に受け渡してくれたものだ。
研究する上で得たものを、学生にほんの少しおすそわけしてくれているのだ。
だから、非研究者では「教養」を与えることができない。
みんなが共有すべき「一般教養」なるものなんてほんのわずかじゃないかね。
「教養」として何を選ぶか、そこから既に「個」が始まっているんだし。
「一般教養」だけを大量に身につけようとするやつがいたらばかなんじゃないかと思う。
いやあどこの何という話でもありませんけど。
…しかし、こういうことを考えてしまうと、自分の非常勤の講義がこわくなるね。
わたしはちゃんと、学生に何かを渡すことができてる/できるのだろうか?
…とはいえ講義準備するときにはそんなことまでなかなか気が回らないというかなしい現実。
もっとえらい先生だと、学生に渡すものを意識しているのだろうか。
願わくば、そういう先生になりたいものです。
どうでもいい追記。
ウィキペディアみたら(参照)今のハーレムってそんな貧困地域じゃないのね。
古い知識でわけ知り顔に語ってすいませんでした。
やっぱ知識の更新もだいじだなあ。
あとも1こ映画ネタ追加すると、ぐぐる先生って「人生、宇宙、すべての答え」を算出してくれるだけでなく、「人生、宇宙、すべての答え」を2倍にしたり2乗にしたり定数として扱えるんですね!
ていうかぐぐる先生が電卓としてつかえることを知らなかったわ。
意外と知らないことって多いなあ。
もっと謙虚に貪欲に学ばねばならぬ。
あれだ学部生んときの講義だ。
アメリカの黒人居住区域(いわゆる「ハーレム」とか)の研究をしている先生の社会学の講義で聞いたんだわ。
講義で観た映画がどまんなかに象徴的だった。
貧しい(といっても家の中の調度品はわりと豪華で、映画の「つくりもの」感が出てしまったのか,家具つき住宅だったから可能だったのかは不明)黒人の母親が、裕福な親戚のところへ娘(主人公)を里子に出すという話なんだけど、母親は主人公の娘をそれまで黒人文化の中で育ててきていて、裕福な親戚は(裕福ゆえにか)白人文化に染まろうとしているので、里子にきた娘にも白人文化を真綿のようなやり方で強制していく、といった内容だったように思う(うろおぼえ)。
いわゆるアフロ=アメリカンなかんじの細いみつあみいっぱい作るような髪形してた娘に、ストレートパーマかけさせたりね。
「なるべく色白のほうがいい」とか。
まあ娘は反発するし、当時のあほなわたしは「おかあさんが編んでくれたみつあみ否定されるなんて娘かわいそう」みたいなあほなことしか考えられなかったわけですが。
「富を持つ」=「幸福」という図式にのっかるには、富を持たない文化を否定するという方法もしかたなかったのかもしれない。
他にも、黒人居住地域では“出産”は“結婚”とイコールではなく、“結婚”自体もたいそうもろいという話が講義であったな。
必然、シングルマザーが多くなるわけだ。
男性のほうでも、「(性的関係を持つことになった女性に対して)あんまり気に入る子じゃなければ避妊をちゃんとするけど、いい子だと思ったらしない」みたいなことを言ってたりして、日本にいるわたしたちの倫理観とはかけ離れていることに驚いた。
「子どもを生む」=「幸福」であって、「子どもに十分な教育を受けさせる」とかはそこにはカウントされてないのだ。
こういう文化を肯定しこういう文化で生きていくならば、教育が賃金に反映される国において「下層」は固定されてしまう。
今となっては日本でも当たり前のように言われる言説だけど、何年か前はそんな話(表向きには)影も形もなかった。
まあそれは、「現代日本には貧困は存在しない」ような幻想がそれなりに共有されていたせいだと思うけど。
だが、「下層」文化を否定することは正しいと果たして言えるのか?
貧しい階級の文化・出自を否定し、富を持つ集団に入り込もうとすることは一意的に「幸福」といえるのか?
このへんになってくると、哲学屋さんのめしのたね「解けない問い」になってくるのだなあ。
まあそんなかんじで、昔の講義で得た知識なんかがじわっと映画の見方から社会の見方やら人生観やらに影響してくるわけですね。
昨日でてた研究会で、「人文系の研究者は、研究者のすべての発言にはその人の今までの(研究といったパブリックな性格もそれ以外のプライベートなものも)経験・文化・バックグラウンドが現れる」という話が出たのだけども、実際わたしに置き換えても上記の通りなわけで。
そいえばわたしがアンチ・チョムスキアンなのは高校んときの先輩が「今どきチョムスキーを支持してるやつは阿呆」と放言して憚らなかったからだし、MRI実験するときなど建前はともかく実験者と被験者が非対等であることを意識するのはフーコーらへんの話で医療(対患者)の権力構造という講義を受けてたからだし、オカルト話につい興味が湧くのは現代の民俗学材料であると少ない民俗学知識でも判断できるからだし、○○○は××なんて思ってるのはその内幕をちらっとだけ見たからだし、今までに受け取ったありとあらゆる言説がわたしの思考を方向づけているのは明らか。
つまり、「役に立たない」学問なんかない。
理屈づけなくても、わたし自身が体感していたのだった。
専門領域外で受けた講義であっても、直接おかねがもうからない知識でも、今のわたしの思考を形作っている。
ちゃんと役に立っている。
これが「教養」というものではないか。
「教養」にならない学問なんてない。
ただし、これは「一般教養」ではない。
教科書的に学んだものではない。
研究者が自分の研究に関する講義を通じて学生に受け渡してくれたものだ。
研究する上で得たものを、学生にほんの少しおすそわけしてくれているのだ。
だから、非研究者では「教養」を与えることができない。
みんなが共有すべき「一般教養」なるものなんてほんのわずかじゃないかね。
「教養」として何を選ぶか、そこから既に「個」が始まっているんだし。
「一般教養」だけを大量に身につけようとするやつがいたらばかなんじゃないかと思う。
いやあどこの何という話でもありませんけど。
…しかし、こういうことを考えてしまうと、自分の非常勤の講義がこわくなるね。
わたしはちゃんと、学生に何かを渡すことができてる/できるのだろうか?
…とはいえ講義準備するときにはそんなことまでなかなか気が回らないというかなしい現実。
もっとえらい先生だと、学生に渡すものを意識しているのだろうか。
願わくば、そういう先生になりたいものです。
どうでもいい追記。
ウィキペディアみたら(参照)今のハーレムってそんな貧困地域じゃないのね。
古い知識でわけ知り顔に語ってすいませんでした。
やっぱ知識の更新もだいじだなあ。
あとも1こ映画ネタ追加すると、ぐぐる先生って「人生、宇宙、すべての答え」を算出してくれるだけでなく、「人生、宇宙、すべての答え」を2倍にしたり2乗にしたり定数として扱えるんですね!
ていうかぐぐる先生が電卓としてつかえることを知らなかったわ。
意外と知らないことって多いなあ。
もっと謙虚に貪欲に学ばねばならぬ。
研究室PCではPDFファイル見るのにふつーにAdobe Readerをつかっていたのですが、なんだか最近重すぎて、複数のPDF開いたりちょっといそいでスクロールすると固まるなどこまった現象が頻発するようになってしまいました。
バージョンはXなのですが、検索してみたところこのAdobe Reader Xというやつはなかなか曲者な評判だそうで、検索して出てくる動作を軽くする設定を試してみても一向に改善されません。
ダウングレードしようかと思ったのですが、前バージョンの9は今年でサポート終了するらしいです(ソース)。
なので、もう家・移動用ノートPCでつかっているFoxit ReaderというフリーのPDF閲覧ソフトを研究室でも使うことにしました。
PDFをタブで開けるし、保護がかかってなければ書き込みとかできるし便利だし。
何より動作が軽いことがうれしい。
公式ダウンロードサイトはこちら(デフォルトの英語仕様)。
日本語版はこっち。
わたしはさっくりデフォルトのをおとしてきたのですが、どうやらこれだけでは日本語の文書を表示するときに文字化けとかする場合があるっぽい。
そこで、このページにならってダウンロードサイトのところのAdd-onのところにある「Eastern Asian Language Support」というのを選択してダウンロードして、Program FilesとかのFoxit Readerがインストールされてるフォルダにダウンロードしたfzipファイルをいれて、Foxit Readerを起動してツールバーのHELPのところから、Install Updateを実行すると、ファイル指定するウィンドウが出るのでさっきのfzipファイルを指定してやって実行。
すると更新されて、日本語がちゃんと表示されるようになります。
これでPDFファイルをすいすい快適に見ることができる!
べんり!!!
しかし、AdobeといいFirefoxといいそもそものOSといい、安定した旧版をさっくり切り捨てて不安定な新版をばかすか出す風潮はもうちょいなんとかならんもんですかねー。
新しいのは安定してから出すとか、新しいのをばかすか出すにしても安定した旧版サポートを残しておくとか、なんかそういう配慮がもちょっとあってもいいと思うんですが。
まあいいや。もうしばらくは動作確認以外でAdobe Readerつかわんし。
バージョンはXなのですが、検索してみたところこのAdobe Reader Xというやつはなかなか曲者な評判だそうで、検索して出てくる動作を軽くする設定を試してみても一向に改善されません。
ダウングレードしようかと思ったのですが、前バージョンの9は今年でサポート終了するらしいです(ソース)。
なので、もう家・移動用ノートPCでつかっているFoxit ReaderというフリーのPDF閲覧ソフトを研究室でも使うことにしました。
PDFをタブで開けるし、保護がかかってなければ書き込みとかできるし便利だし。
何より動作が軽いことがうれしい。
公式ダウンロードサイトはこちら(デフォルトの英語仕様)。
日本語版はこっち。
わたしはさっくりデフォルトのをおとしてきたのですが、どうやらこれだけでは日本語の文書を表示するときに文字化けとかする場合があるっぽい。
そこで、このページにならってダウンロードサイトのところのAdd-onのところにある「Eastern Asian Language Support」というのを選択してダウンロードして、Program FilesとかのFoxit Readerがインストールされてるフォルダにダウンロードしたfzipファイルをいれて、Foxit Readerを起動してツールバーのHELPのところから、Install Updateを実行すると、ファイル指定するウィンドウが出るのでさっきのfzipファイルを指定してやって実行。
すると更新されて、日本語がちゃんと表示されるようになります。
これでPDFファイルをすいすい快適に見ることができる!
べんり!!!
しかし、AdobeといいFirefoxといいそもそものOSといい、安定した旧版をさっくり切り捨てて不安定な新版をばかすか出す風潮はもうちょいなんとかならんもんですかねー。
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びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
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