めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
×
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ちょっと出張してくるのですが、出張先のネットがあんまし確保できてないので、しばらく更新できない可能性があります。
すみません。
あとなんか、このめもめもにはSFネタよりも統計ネタとかMRIネタを求められてるらしいのですが、期待にお応えできるかはわかりません。
すみません。
まあなんかわたしの琴線にふれてそのときネットがつかえたらなんか書きます。
たぶん。
すみません。
あとなんか、このめもめもにはSFネタよりも統計ネタとかMRIネタを求められてるらしいのですが、期待にお応えできるかはわかりません。
すみません。
まあなんかわたしの琴線にふれてそのときネットがつかえたらなんか書きます。
たぶん。
そろそろあったかくなってきたからもういいだろうとこたつをかたづけた途端にかぜをひいたのは誰か。
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\ 丶 i. | / ./ /
\ ヽ i. .| / / /
\ ヽ i | / / /
\
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__ わ た し で す --
二 / ̄\ = 二
 ̄ | ^ o ^ |  ̄
-‐ \_/ ‐-
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/ ヽ \
/ 丶 \
/ / / | i, 丶 \
/ / / | i, 丶 \
こたつの恵みが失われたときの人類の、なんと脆いことか…
というわけで寝ながらできる作業をするしかありません。
すなわちDVD鑑賞。
んで今回見たのはこれ、『宇宙人王さんとの遭遇』。
わかる人向けに言うなら、「最初のほかの映画の予告・宣伝にアルバトロスが混じってる」タイプです。
まあそんなんいちいち言わなくても、タイトルでお察しですよね!
とはいえこいつはアルバトロス配給じゃないです。
AMGエンターテイメントというところらしいのですが、まあなかなかB級もの向け会社のようですね。
配給以外にも製作とかしてるみたい。
まあストーリーも何も、完全に出オチですわ。
出オチだけで映画が1本とれちゃう昨今のCG技術の進化に乾杯。
「多様性」を支持する派のわたしとしては、どんどんこういう映画が出てくればいいと思います。
裾野がひろいと、そのうちてっぺんがとんでもないところまで届いてくれるからね。
もちょい詳しく話しましょうか。
最近ちょいアレなイギリス系映画ばかりをたしなんでいたわれわれにはめずらしく、これはイタリアン映画です。
舞台はイタリア、主な言語もイタリア語。
主人公は、中国語翻訳の仕事をしている美女(ただしこの「美女」であるところは今後一切活かされない)。
ある日いきなりけったいな「秘密」の仕事が舞い込む。
秘密の場所で、秘密の相手の中国語を通訳してほしい、と。
最初はとまどう主人公だったが、仕事を進めるうちにその相手が宇宙人であることが明らかになる!
宇宙人は、地球上でもっとも話者人口が多い中国語を習得していたのだ!
そのため彼は簡易的に「王」さんと名乗る…!
と、まあこんなかんじです。
正直映画の半分は、部屋ん中で宇宙人とやりとりするだけのシーンです。
シチュエーションコメディとしてはかなり理想的状況(セット代が浮く)ですが、三谷幸喜ぐらいさくさくまわしてくれないとつらいものがあるっちゃーある。
翻訳とか好きなひとだったらかぶりつきで見られるかもよ!
…たぶん。
Youtubeとかに予告編あがってるみたいですが、予告編だけを見て批判していると思われるコメントには「わかってねえなあ」とにやにやできるようになります。
それが最後まで観た者への報酬です。
んでもって、この宇宙人を「中国語を話す移民」のメタファーととらえてごにゃごにゃ議論する人々もいるそうですが、わたし自身は、それはそれでどーかなーと思います。
『アタック・ザ・ブロック』は社会派SFっぽい目で見てもおおっと思えたのになあ。
たぶん、「中国語を話す移民」として観ても物語がおもしろくなるわけではないからじゃないかと思う。
深読みも何もなく、ただ通訳をはさんで理解が進まないだけなら、異国人より異星人のほうが見てておもしろいし。
わたしはおもしろいほうに流れます。
こんだけシンプル出オチ映画なら、もうエイリアンはエイリアンでいいじゃない。
あ、そういう意味ではこれも「組み合わせの妙を楽しむ」映画なのか。
というわけでそういう「組み合わせを面白がれる」人にはすすめられる。
まあ一般人にはおすすめしない。
『死霊の盆踊り』3回見て悟りが開けていればどうっていうことのないレベルですよ。
あとイタリア美人がおろおろするところが見たいというご趣味の方にはぜひおすすめします。
主人公マジ美人。何の意味もないけど。
やっぱりときどきはこういうアレな映画を嗜んでおかないとなあ。
「B級だけど面白いね」というのはぬるま湯にすぎないということがよく実感できます。
映画でも人間でも研究でもなんでも、「多様性がある」ということはすばらしいことです。
多様性万歳。
ちなみに観終わったその晩、熱があがりました。
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こたつの恵みが失われたときの人類の、なんと脆いことか…
というわけで寝ながらできる作業をするしかありません。
すなわちDVD鑑賞。
んで今回見たのはこれ、『宇宙人王さんとの遭遇』。
わかる人向けに言うなら、「最初のほかの映画の予告・宣伝にアルバトロスが混じってる」タイプです。
まあそんなんいちいち言わなくても、タイトルでお察しですよね!
とはいえこいつはアルバトロス配給じゃないです。
AMGエンターテイメントというところらしいのですが、まあなかなかB級もの向け会社のようですね。
配給以外にも製作とかしてるみたい。
まあストーリーも何も、完全に出オチですわ。
出オチだけで映画が1本とれちゃう昨今のCG技術の進化に乾杯。
「多様性」を支持する派のわたしとしては、どんどんこういう映画が出てくればいいと思います。
裾野がひろいと、そのうちてっぺんがとんでもないところまで届いてくれるからね。
もちょい詳しく話しましょうか。
最近ちょいアレなイギリス系映画ばかりをたしなんでいたわれわれにはめずらしく、これはイタリアン映画です。
舞台はイタリア、主な言語もイタリア語。
主人公は、中国語翻訳の仕事をしている美女(ただしこの「美女」であるところは今後一切活かされない)。
ある日いきなりけったいな「秘密」の仕事が舞い込む。
秘密の場所で、秘密の相手の中国語を通訳してほしい、と。
最初はとまどう主人公だったが、仕事を進めるうちにその相手が宇宙人であることが明らかになる!
宇宙人は、地球上でもっとも話者人口が多い中国語を習得していたのだ!
そのため彼は簡易的に「王」さんと名乗る…!
と、まあこんなかんじです。
正直映画の半分は、部屋ん中で宇宙人とやりとりするだけのシーンです。
シチュエーションコメディとしてはかなり理想的状況(セット代が浮く)ですが、三谷幸喜ぐらいさくさくまわしてくれないとつらいものがあるっちゃーある。
翻訳とか好きなひとだったらかぶりつきで見られるかもよ!
…たぶん。
Youtubeとかに予告編あがってるみたいですが、予告編だけを見て批判していると思われるコメントには「わかってねえなあ」とにやにやできるようになります。
それが最後まで観た者への報酬です。
んでもって、この宇宙人を「中国語を話す移民」のメタファーととらえてごにゃごにゃ議論する人々もいるそうですが、わたし自身は、それはそれでどーかなーと思います。
『アタック・ザ・ブロック』は社会派SFっぽい目で見てもおおっと思えたのになあ。
たぶん、「中国語を話す移民」として観ても物語がおもしろくなるわけではないからじゃないかと思う。
深読みも何もなく、ただ通訳をはさんで理解が進まないだけなら、異国人より異星人のほうが見てておもしろいし。
わたしはおもしろいほうに流れます。
こんだけシンプル出オチ映画なら、もうエイリアンはエイリアンでいいじゃない。
あ、そういう意味ではこれも「組み合わせの妙を楽しむ」映画なのか。
というわけでそういう「組み合わせを面白がれる」人にはすすめられる。
まあ一般人にはおすすめしない。
『死霊の盆踊り』3回見て悟りが開けていればどうっていうことのないレベルですよ。
あとイタリア美人がおろおろするところが見たいというご趣味の方にはぜひおすすめします。
主人公マジ美人。何の意味もないけど。
やっぱりときどきはこういうアレな映画を嗜んでおかないとなあ。
「B級だけど面白いね」というのはぬるま湯にすぎないということがよく実感できます。
映画でも人間でも研究でもなんでも、「多様性がある」ということはすばらしいことです。
多様性万歳。
ちなみに観終わったその晩、熱があがりました。
『アタック・ザ・ブロック』でつらつら述べた「階級」とその文化に関して、いわゆる“下層”階級においては特有の文化を持ちそれを肯定することで連帯感や充足を持とうとするけどそのせいで「階級」の世襲や固定につながってしまうという言説ってもともとどこで聞いた話だったかなあ、というのを思い返してみた。
あれだ学部生んときの講義だ。
アメリカの黒人居住区域(いわゆる「ハーレム」とか)の研究をしている先生の社会学の講義で聞いたんだわ。
講義で観た映画がどまんなかに象徴的だった。
貧しい(といっても家の中の調度品はわりと豪華で、映画の「つくりもの」感が出てしまったのか,家具つき住宅だったから可能だったのかは不明)黒人の母親が、裕福な親戚のところへ娘(主人公)を里子に出すという話なんだけど、母親は主人公の娘をそれまで黒人文化の中で育ててきていて、裕福な親戚は(裕福ゆえにか)白人文化に染まろうとしているので、里子にきた娘にも白人文化を真綿のようなやり方で強制していく、といった内容だったように思う(うろおぼえ)。
いわゆるアフロ=アメリカンなかんじの細いみつあみいっぱい作るような髪形してた娘に、ストレートパーマかけさせたりね。
「なるべく色白のほうがいい」とか。
まあ娘は反発するし、当時のあほなわたしは「おかあさんが編んでくれたみつあみ否定されるなんて娘かわいそう」みたいなあほなことしか考えられなかったわけですが。
「富を持つ」=「幸福」という図式にのっかるには、富を持たない文化を否定するという方法もしかたなかったのかもしれない。
他にも、黒人居住地域では“出産”は“結婚”とイコールではなく、“結婚”自体もたいそうもろいという話が講義であったな。
必然、シングルマザーが多くなるわけだ。
男性のほうでも、「(性的関係を持つことになった女性に対して)あんまり気に入る子じゃなければ避妊をちゃんとするけど、いい子だと思ったらしない」みたいなことを言ってたりして、日本にいるわたしたちの倫理観とはかけ離れていることに驚いた。
「子どもを生む」=「幸福」であって、「子どもに十分な教育を受けさせる」とかはそこにはカウントされてないのだ。
こういう文化を肯定しこういう文化で生きていくならば、教育が賃金に反映される国において「下層」は固定されてしまう。
今となっては日本でも当たり前のように言われる言説だけど、何年か前はそんな話(表向きには)影も形もなかった。
まあそれは、「現代日本には貧困は存在しない」ような幻想がそれなりに共有されていたせいだと思うけど。
だが、「下層」文化を否定することは正しいと果たして言えるのか?
貧しい階級の文化・出自を否定し、富を持つ集団に入り込もうとすることは一意的に「幸福」といえるのか?
このへんになってくると、哲学屋さんのめしのたね「解けない問い」になってくるのだなあ。
まあそんなかんじで、昔の講義で得た知識なんかがじわっと映画の見方から社会の見方やら人生観やらに影響してくるわけですね。
昨日でてた研究会で、「人文系の研究者は、研究者のすべての発言にはその人の今までの(研究といったパブリックな性格もそれ以外のプライベートなものも)経験・文化・バックグラウンドが現れる」という話が出たのだけども、実際わたしに置き換えても上記の通りなわけで。
そいえばわたしがアンチ・チョムスキアンなのは高校んときの先輩が「今どきチョムスキーを支持してるやつは阿呆」と放言して憚らなかったからだし、MRI実験するときなど建前はともかく実験者と被験者が非対等であることを意識するのはフーコーらへんの話で医療(対患者)の権力構造という講義を受けてたからだし、オカルト話につい興味が湧くのは現代の民俗学材料であると少ない民俗学知識でも判断できるからだし、○○○は××なんて思ってるのはその内幕をちらっとだけ見たからだし、今までに受け取ったありとあらゆる言説がわたしの思考を方向づけているのは明らか。
つまり、「役に立たない」学問なんかない。
理屈づけなくても、わたし自身が体感していたのだった。
専門領域外で受けた講義であっても、直接おかねがもうからない知識でも、今のわたしの思考を形作っている。
ちゃんと役に立っている。
これが「教養」というものではないか。
「教養」にならない学問なんてない。
ただし、これは「一般教養」ではない。
教科書的に学んだものではない。
研究者が自分の研究に関する講義を通じて学生に受け渡してくれたものだ。
研究する上で得たものを、学生にほんの少しおすそわけしてくれているのだ。
だから、非研究者では「教養」を与えることができない。
みんなが共有すべき「一般教養」なるものなんてほんのわずかじゃないかね。
「教養」として何を選ぶか、そこから既に「個」が始まっているんだし。
「一般教養」だけを大量に身につけようとするやつがいたらばかなんじゃないかと思う。
いやあどこの何という話でもありませんけど。
…しかし、こういうことを考えてしまうと、自分の非常勤の講義がこわくなるね。
わたしはちゃんと、学生に何かを渡すことができてる/できるのだろうか?
…とはいえ講義準備するときにはそんなことまでなかなか気が回らないというかなしい現実。
もっとえらい先生だと、学生に渡すものを意識しているのだろうか。
願わくば、そういう先生になりたいものです。
どうでもいい追記。
ウィキペディアみたら(参照)今のハーレムってそんな貧困地域じゃないのね。
古い知識でわけ知り顔に語ってすいませんでした。
やっぱ知識の更新もだいじだなあ。
あとも1こ映画ネタ追加すると、ぐぐる先生って「人生、宇宙、すべての答え」を算出してくれるだけでなく、「人生、宇宙、すべての答え」を2倍にしたり2乗にしたり定数として扱えるんですね!
ていうかぐぐる先生が電卓としてつかえることを知らなかったわ。
意外と知らないことって多いなあ。
もっと謙虚に貪欲に学ばねばならぬ。
あれだ学部生んときの講義だ。
アメリカの黒人居住区域(いわゆる「ハーレム」とか)の研究をしている先生の社会学の講義で聞いたんだわ。
講義で観た映画がどまんなかに象徴的だった。
貧しい(といっても家の中の調度品はわりと豪華で、映画の「つくりもの」感が出てしまったのか,家具つき住宅だったから可能だったのかは不明)黒人の母親が、裕福な親戚のところへ娘(主人公)を里子に出すという話なんだけど、母親は主人公の娘をそれまで黒人文化の中で育ててきていて、裕福な親戚は(裕福ゆえにか)白人文化に染まろうとしているので、里子にきた娘にも白人文化を真綿のようなやり方で強制していく、といった内容だったように思う(うろおぼえ)。
いわゆるアフロ=アメリカンなかんじの細いみつあみいっぱい作るような髪形してた娘に、ストレートパーマかけさせたりね。
「なるべく色白のほうがいい」とか。
まあ娘は反発するし、当時のあほなわたしは「おかあさんが編んでくれたみつあみ否定されるなんて娘かわいそう」みたいなあほなことしか考えられなかったわけですが。
「富を持つ」=「幸福」という図式にのっかるには、富を持たない文化を否定するという方法もしかたなかったのかもしれない。
他にも、黒人居住地域では“出産”は“結婚”とイコールではなく、“結婚”自体もたいそうもろいという話が講義であったな。
必然、シングルマザーが多くなるわけだ。
男性のほうでも、「(性的関係を持つことになった女性に対して)あんまり気に入る子じゃなければ避妊をちゃんとするけど、いい子だと思ったらしない」みたいなことを言ってたりして、日本にいるわたしたちの倫理観とはかけ離れていることに驚いた。
「子どもを生む」=「幸福」であって、「子どもに十分な教育を受けさせる」とかはそこにはカウントされてないのだ。
こういう文化を肯定しこういう文化で生きていくならば、教育が賃金に反映される国において「下層」は固定されてしまう。
今となっては日本でも当たり前のように言われる言説だけど、何年か前はそんな話(表向きには)影も形もなかった。
まあそれは、「現代日本には貧困は存在しない」ような幻想がそれなりに共有されていたせいだと思うけど。
だが、「下層」文化を否定することは正しいと果たして言えるのか?
貧しい階級の文化・出自を否定し、富を持つ集団に入り込もうとすることは一意的に「幸福」といえるのか?
このへんになってくると、哲学屋さんのめしのたね「解けない問い」になってくるのだなあ。
まあそんなかんじで、昔の講義で得た知識なんかがじわっと映画の見方から社会の見方やら人生観やらに影響してくるわけですね。
昨日でてた研究会で、「人文系の研究者は、研究者のすべての発言にはその人の今までの(研究といったパブリックな性格もそれ以外のプライベートなものも)経験・文化・バックグラウンドが現れる」という話が出たのだけども、実際わたしに置き換えても上記の通りなわけで。
そいえばわたしがアンチ・チョムスキアンなのは高校んときの先輩が「今どきチョムスキーを支持してるやつは阿呆」と放言して憚らなかったからだし、MRI実験するときなど建前はともかく実験者と被験者が非対等であることを意識するのはフーコーらへんの話で医療(対患者)の権力構造という講義を受けてたからだし、オカルト話につい興味が湧くのは現代の民俗学材料であると少ない民俗学知識でも判断できるからだし、○○○は××なんて思ってるのはその内幕をちらっとだけ見たからだし、今までに受け取ったありとあらゆる言説がわたしの思考を方向づけているのは明らか。
つまり、「役に立たない」学問なんかない。
理屈づけなくても、わたし自身が体感していたのだった。
専門領域外で受けた講義であっても、直接おかねがもうからない知識でも、今のわたしの思考を形作っている。
ちゃんと役に立っている。
これが「教養」というものではないか。
「教養」にならない学問なんてない。
ただし、これは「一般教養」ではない。
教科書的に学んだものではない。
研究者が自分の研究に関する講義を通じて学生に受け渡してくれたものだ。
研究する上で得たものを、学生にほんの少しおすそわけしてくれているのだ。
だから、非研究者では「教養」を与えることができない。
みんなが共有すべき「一般教養」なるものなんてほんのわずかじゃないかね。
「教養」として何を選ぶか、そこから既に「個」が始まっているんだし。
「一般教養」だけを大量に身につけようとするやつがいたらばかなんじゃないかと思う。
いやあどこの何という話でもありませんけど。
…しかし、こういうことを考えてしまうと、自分の非常勤の講義がこわくなるね。
わたしはちゃんと、学生に何かを渡すことができてる/できるのだろうか?
…とはいえ講義準備するときにはそんなことまでなかなか気が回らないというかなしい現実。
もっとえらい先生だと、学生に渡すものを意識しているのだろうか。
願わくば、そういう先生になりたいものです。
どうでもいい追記。
ウィキペディアみたら(参照)今のハーレムってそんな貧困地域じゃないのね。
古い知識でわけ知り顔に語ってすいませんでした。
やっぱ知識の更新もだいじだなあ。
あとも1こ映画ネタ追加すると、ぐぐる先生って「人生、宇宙、すべての答え」を算出してくれるだけでなく、「人生、宇宙、すべての答え」を2倍にしたり2乗にしたり定数として扱えるんですね!
ていうかぐぐる先生が電卓としてつかえることを知らなかったわ。
意外と知らないことって多いなあ。
もっと謙虚に貪欲に学ばねばならぬ。
さて昨日に引き続き映画だ!
というわけで今回紹介するのは、愛されでぶことニック・フロストも出演しているという『アタック・ザ・ブロック』。
なぜかYahoo映画でだけ「SFコメディ」と紹介していますが(このページ)、他では「SFアクション」となっているので(このサイトとかウィキペディアとか)、これはYahoo外したな。
実際、コメディ色は薄めです。
ストーリーとしては大変単純で、ロンドン南部の治安のわるい団地(ブロック)にエイリアンがやってきた!不良少年たちが立ち向かう!というだけのお話です。
なぜこれが評価されているのか(評価されているらしいソース)というと、やっぱり組み合わせの妙といわゆる「アンダークラス」の描写に優れているからではないかと。
組み合わせの妙、ってのはもちろん、アンダークラスの不良少年とエイリアンというところですね。
この手の「こんなん組み合わせちゃったぜドヤァ」というのは映画においてわりと伝統的に存在するジャンル(?)というか、例えば、西部劇とゾンビとか、名探偵ホームズとクトゥルー神話とか、チアリーダーと忍者とか、まあいろいろあるわけですよそういうの。
本作品はそういう「組み合わせちゃったぜ」系列にあるのではないかと思われます。
つまりそういうのがお好きな方は必見。
もう1このポイント、「アンダークラスの描写」というのはそれなり前知識がないとぴんとこないと思う。
正直わたしもそこまで「ぴんときて」いるわけじゃない。
イギリス階級社会で一番下と言われていた「ワーキングクラス」のさらに下の階層、公的扶助に頼って暮らす「アンダークラス」についてそんなしたり顔で「理解した」ふりはできない。
あの国にほんの一瞬滞在したときに、大学に行けばミドルクラスなボンボンの集まり、買い物に行けば(おかねがないので)ワーキングクラスやアンダークラスの人々に混じるという生活をしていたわけで。
実際のところ、アンダークラスらしき人と直接接触したのって、夜の駅近くの道でなんか声かけられたときだけだと思う(逃げたけど)。
んでも短期間そんな生活をしただけでも、「階級」のにおいはぷんぷんしていて、びびりのわたしにもはっきり感じ取られるわけで。
んでもって、英語もろくにしゃべれない上に手持ちのおかねがないわたしは、ミドルクラスの世界に出入りするアンダークラスみたいなもんで。
空気というかにおいだけを感じ取っていたにすぎないのだけれど。
漫画好きな人に端的に説明するなら、『ぼくんち』の世界。
世事に詳しいひと向けに説明するなら、数年前にあったロンドン暴動の舞台。
そういうのが、この映画では実にみごとに(わたしのわかる範囲でだけど)描写されている。
これは別にわたしだけの思い込みってわけでもないらしく、わたしが愛読している英国在住日本人の方のブログでも、この映画はほめられていた(この記事)。
ていうかこのひとのブログや連載(これ)読めば、英国「アンダークラス」についてだいたいわかった気分になれるよ!
つまりこの映画を観る前に必読というわけだ。
ってか、SFぽさが前面に出ないなあ。
まあSF的理屈はあくまで味付け程度なのかもなあ。
「ろくに教育を受けてないアンダークラス」だから、そういう理屈の部分はわからないということかもしれん(そのへんもリアルなのかも)。
団地に出入りするミドルクラスっぽいボンボンだけが、科学っぽいこと言うというのもやっぱり教育格差を反映しているのかもしれない。
そういう英国の「階級」をSFのかたちを借りて描いた映画なわけですな。
これだけだとSF成分があまりにも少ないので、続きのところにネタバレ含めて書く。
続きネタバレ注意。
というわけで今回紹介するのは、愛されでぶことニック・フロストも出演しているという『アタック・ザ・ブロック』。
なぜかYahoo映画でだけ「SFコメディ」と紹介していますが(このページ)、他では「SFアクション」となっているので(このサイトとかウィキペディアとか)、これはYahoo外したな。
実際、コメディ色は薄めです。
ストーリーとしては大変単純で、ロンドン南部の治安のわるい団地(ブロック)にエイリアンがやってきた!不良少年たちが立ち向かう!というだけのお話です。
なぜこれが評価されているのか(評価されているらしいソース)というと、やっぱり組み合わせの妙といわゆる「アンダークラス」の描写に優れているからではないかと。
組み合わせの妙、ってのはもちろん、アンダークラスの不良少年とエイリアンというところですね。
この手の「こんなん組み合わせちゃったぜドヤァ」というのは映画においてわりと伝統的に存在するジャンル(?)というか、例えば、西部劇とゾンビとか、名探偵ホームズとクトゥルー神話とか、チアリーダーと忍者とか、まあいろいろあるわけですよそういうの。
本作品はそういう「組み合わせちゃったぜ」系列にあるのではないかと思われます。
つまりそういうのがお好きな方は必見。
もう1このポイント、「アンダークラスの描写」というのはそれなり前知識がないとぴんとこないと思う。
正直わたしもそこまで「ぴんときて」いるわけじゃない。
イギリス階級社会で一番下と言われていた「ワーキングクラス」のさらに下の階層、公的扶助に頼って暮らす「アンダークラス」についてそんなしたり顔で「理解した」ふりはできない。
あの国にほんの一瞬滞在したときに、大学に行けばミドルクラスなボンボンの集まり、買い物に行けば(おかねがないので)ワーキングクラスやアンダークラスの人々に混じるという生活をしていたわけで。
実際のところ、アンダークラスらしき人と直接接触したのって、夜の駅近くの道でなんか声かけられたときだけだと思う(逃げたけど)。
んでも短期間そんな生活をしただけでも、「階級」のにおいはぷんぷんしていて、びびりのわたしにもはっきり感じ取られるわけで。
んでもって、英語もろくにしゃべれない上に手持ちのおかねがないわたしは、ミドルクラスの世界に出入りするアンダークラスみたいなもんで。
空気というかにおいだけを感じ取っていたにすぎないのだけれど。
漫画好きな人に端的に説明するなら、『ぼくんち』の世界。
世事に詳しいひと向けに説明するなら、数年前にあったロンドン暴動の舞台。
そういうのが、この映画では実にみごとに(わたしのわかる範囲でだけど)描写されている。
これは別にわたしだけの思い込みってわけでもないらしく、わたしが愛読している英国在住日本人の方のブログでも、この映画はほめられていた(この記事)。
ていうかこのひとのブログや連載(これ)読めば、英国「アンダークラス」についてだいたいわかった気分になれるよ!
つまりこの映画を観る前に必読というわけだ。
ってか、SFぽさが前面に出ないなあ。
まあSF的理屈はあくまで味付け程度なのかもなあ。
「ろくに教育を受けてないアンダークラス」だから、そういう理屈の部分はわからないということかもしれん(そのへんもリアルなのかも)。
団地に出入りするミドルクラスっぽいボンボンだけが、科学っぽいこと言うというのもやっぱり教育格差を反映しているのかもしれない。
そういう英国の「階級」をSFのかたちを借りて描いた映画なわけですな。
これだけだとSF成分があまりにも少ないので、続きのところにネタバレ含めて書く。
続きネタバレ注意。
某DVDレンタル店が4本1000円キャンペーンをしているのでSF映画をいっぱい見ようキャンペーン。
今回は,原作と映画両方くらべながら見るという豪華版です。
タイトルはあのSFスラップスティック(この分類であってるよね?)の金字塔、『銀河ヒッチハイクガイド』です。
小説のほうはもはやおしもおされぬ名作ですが、旧訳のほうはもうあんまし手に入らないっぽい。
なのでうちにあるのも新訳です。
で、えてしてそういう名作の映画化となると、原作のよさが失われたアレなかんじになるのですが、なんと映画のほうもなかなかすばらしいできなんですよ。
(しかし日本語版のDVD、前者の値段はどうなんだ。UK版だと新作6ポンド・中古12ペンスからあるらしいというのに…)
ウィキペディアもものっそい充実していて、ああ根強いファンががんばって編集してくれてるんだなあというのが感じられるのですが、いかんせん愛がほとばしりすぎててネタバレ過多ないきおいがあります。
自分で読みたい・観たいと思われる方はウィキペディアは見ないほうがいいかも。
なので今回ウィキペディアへのリンクはなしね。
そして、悲劇(?)の主人公、デントアーサーデントは『Sherlock』でワトソンを務めた彼が演じるんですよ。
ひょっとしてこれ彼の出世作なんじゃないのか?
今年の夏は彼がひさしぶりに『ショーン・オブ・ザ・デッド』のあの二人組と組んだ映画が公開されるらしいので楽しみ。(ソース)
なんか『Sherlock』で売れっ子になってしまったらしい。
売れっ子になってもB級映画への愛を忘れないでいてくれるとはうれしいですね!
とはいえあまぞんのDVDリンクのほうでは、彼じゃなく例のはちゃめちゃめちゃくちゃ大統領のほうが主演扱いっぽい。
ある意味原作準拠。
と、ここまで中身についてまったくふれずに書いてきましたが、中身を紹介するならば、「ちょっと遠慮がちな性格のイギリス人、アーサー・デントが、ありとあらゆる惑星のいろんな人にふりまわされる話」です。
まあ最初のうちはアーサー・デントに限らず地球人みんながふりまわされてると言ってもいいけど。
原作のほうでは、アーサー・デントはいっさい報いられることなくひどい目に遭い続けてしまうのですが(それがまた面白いんだけど)、映画のほうではちょっと報われてるというかちょっとだけハッピーエンド。
まあ原作は続編もあるので、別に『銀河ヒッチハイクガイド』だけで主人公がハッピーになる必要はないんですけどね。
タイトルの『銀河ヒッチハイクガイド』ですが、作中世界では宇宙をふらふらヒッチハイクしてまわるのが流行っているためよりよい旅のためにヒッチハイクガイドが執筆されているという設定で、作中に出てくる本のタイトルでもあります。
昔の小説なのに、電子書籍のようなものとして描かれているというのが面白いですね。
ただタッチパネルで操作するのではなく、音声認識で操作するという設定。
…音声認識でめんどくさくなったりしないのかな。
技術の進化に伴ううざったさについてもひとネタありまして、たとえばラジオなんかは、スイッチひねったりおしたりする必要がなく、ラジオにむかって手をふったりするだけでOK!
…なんだけど、チューニングをかえず同じ局を聞き続けるためには、身動きせずじっとしていなくてはならない仕様。
めんどくせえええええええ!
(そいや映画にはラジオ出てこなかったな)
技術の進化とうざったさという点では、登場人物(人じゃないけど)の機械たちが体現してくれています。
いっしょに行動するロボットしかり、宇宙船のマザーコンピューターしかり。
読んでいて「こいつうぜえええええええ!」と思うこと必須。
しかしそれが技術の進化というものなんだぜ!
SFの想像力ときたら身震いするね!
まあそんなかんじで、いわゆる「英国風」な皮肉がたっぷりまぶしてある原作を、わかりやすく視覚化したのが映画版だということです。
映画版では、ヒッチハイカーのフォードが黒人の方なんですが、そこはアメリカ的配慮なのだろうか。
ヒロインは白人の方になってたけど。
原作ではフォードは白人系(に見える)、ヒロインはアラブ系だったんだけどな。
あとまあちょくちょく原作と違う点はありますが、それはそれで楽しめました。
映画のキャストについてもう1ネタ言うならば、あの「謎の人物」を演じるのは『ショーン・オブ・ザ・デッド』のstep-dadの彼です。
ていうかあのstep-dadが出ている映画は(わたしの好みにおいて)だいたい外れがないな!
ああいう調子のりすぎなおっさん、大好きです。
「じじいいいかげんにしろ」って笑っていえる感じが本当にいい。
宇宙のヒッチハイカーたちは、タオルをたいそうたいせつにするわけですが、タオルの活躍っぷりはしっかり映画で描写されています。まさにタオル無双。
原作によるとフォードが持ち歩いているタオルはマーク&スペンサーのタオルだそうです。さすがマーク&スペンサー。
日本でいうとどのへんになるんだろう?
ジャスコ並みに親しまれている気はするけど、ジャスコよりは(ちょっとだけ)お高い気がするんだけど。
さすがに高島屋のタオルだと高すぎか。
日本人にも定着したイメージ、「英国人がお茶を飲む」というネタもしっかり出てきます。
ただし「自動栄養飲料合成機」というパチもんでな!
映画のみどころをもう1こ挙げておくならば、「無限不可能性ドライブ」でしょう。
原作のほうでもたいそう皮肉な生まれと使われ方をしている航法ですが、映画はそれを映像化してるんですよ!
不可能を映像化するなんて不可能じゃないの!?
と思われてしまいますが、映画らしい処理をしていて楽しめます。
まあぐだぐだ書いたけど、とりあえず映画を観るなり小説を読むなりしたらいいと思うよ!
ギャグの解説ほどしらじらしいものもないし。
B級映画好きなら観ておくべきだな、うん。
あとスラップスティックSFを読むならおさえておくべきです、うん。
筒井康隆好きなら読むべき。
さて、リアルお茶とアンリアル詩でも嗜むか。
今回は,原作と映画両方くらべながら見るという豪華版です。
タイトルはあのSFスラップスティック(この分類であってるよね?)の金字塔、『銀河ヒッチハイクガイド』です。
小説のほうはもはやおしもおされぬ名作ですが、旧訳のほうはもうあんまし手に入らないっぽい。
なのでうちにあるのも新訳です。
で、えてしてそういう名作の映画化となると、原作のよさが失われたアレなかんじになるのですが、なんと映画のほうもなかなかすばらしいできなんですよ。
(しかし日本語版のDVD、前者の値段はどうなんだ。UK版だと新作6ポンド・中古12ペンスからあるらしいというのに…)
ウィキペディアもものっそい充実していて、ああ根強いファンががんばって編集してくれてるんだなあというのが感じられるのですが、いかんせん愛がほとばしりすぎててネタバレ過多ないきおいがあります。
自分で読みたい・観たいと思われる方はウィキペディアは見ないほうがいいかも。
なので今回ウィキペディアへのリンクはなしね。
そして、悲劇(?)の主人公、デントアーサーデントは『Sherlock』でワトソンを務めた彼が演じるんですよ。
ひょっとしてこれ彼の出世作なんじゃないのか?
今年の夏は彼がひさしぶりに『ショーン・オブ・ザ・デッド』のあの二人組と組んだ映画が公開されるらしいので楽しみ。(ソース)
なんか『Sherlock』で売れっ子になってしまったらしい。
売れっ子になってもB級映画への愛を忘れないでいてくれるとはうれしいですね!
とはいえあまぞんのDVDリンクのほうでは、彼じゃなく例のはちゃめちゃめちゃくちゃ大統領のほうが主演扱いっぽい。
ある意味原作準拠。
と、ここまで中身についてまったくふれずに書いてきましたが、中身を紹介するならば、「ちょっと遠慮がちな性格のイギリス人、アーサー・デントが、ありとあらゆる惑星のいろんな人にふりまわされる話」です。
まあ最初のうちはアーサー・デントに限らず地球人みんながふりまわされてると言ってもいいけど。
原作のほうでは、アーサー・デントはいっさい報いられることなくひどい目に遭い続けてしまうのですが(それがまた面白いんだけど)、映画のほうではちょっと報われてるというかちょっとだけハッピーエンド。
まあ原作は続編もあるので、別に『銀河ヒッチハイクガイド』だけで主人公がハッピーになる必要はないんですけどね。
タイトルの『銀河ヒッチハイクガイド』ですが、作中世界では宇宙をふらふらヒッチハイクしてまわるのが流行っているためよりよい旅のためにヒッチハイクガイドが執筆されているという設定で、作中に出てくる本のタイトルでもあります。
昔の小説なのに、電子書籍のようなものとして描かれているというのが面白いですね。
ただタッチパネルで操作するのではなく、音声認識で操作するという設定。
…音声認識でめんどくさくなったりしないのかな。
技術の進化に伴ううざったさについてもひとネタありまして、たとえばラジオなんかは、スイッチひねったりおしたりする必要がなく、ラジオにむかって手をふったりするだけでOK!
…なんだけど、チューニングをかえず同じ局を聞き続けるためには、身動きせずじっとしていなくてはならない仕様。
めんどくせえええええええ!
(そいや映画にはラジオ出てこなかったな)
技術の進化とうざったさという点では、登場人物(人じゃないけど)の機械たちが体現してくれています。
いっしょに行動するロボットしかり、宇宙船のマザーコンピューターしかり。
読んでいて「こいつうぜえええええええ!」と思うこと必須。
しかしそれが技術の進化というものなんだぜ!
SFの想像力ときたら身震いするね!
まあそんなかんじで、いわゆる「英国風」な皮肉がたっぷりまぶしてある原作を、わかりやすく視覚化したのが映画版だということです。
映画版では、ヒッチハイカーのフォードが黒人の方なんですが、そこはアメリカ的配慮なのだろうか。
ヒロインは白人の方になってたけど。
原作ではフォードは白人系(に見える)、ヒロインはアラブ系だったんだけどな。
あとまあちょくちょく原作と違う点はありますが、それはそれで楽しめました。
映画のキャストについてもう1ネタ言うならば、あの「謎の人物」を演じるのは『ショーン・オブ・ザ・デッド』のstep-dadの彼です。
ていうかあのstep-dadが出ている映画は(わたしの好みにおいて)だいたい外れがないな!
ああいう調子のりすぎなおっさん、大好きです。
「じじいいいかげんにしろ」って笑っていえる感じが本当にいい。
宇宙のヒッチハイカーたちは、タオルをたいそうたいせつにするわけですが、タオルの活躍っぷりはしっかり映画で描写されています。まさにタオル無双。
原作によるとフォードが持ち歩いているタオルはマーク&スペンサーのタオルだそうです。さすがマーク&スペンサー。
日本でいうとどのへんになるんだろう?
ジャスコ並みに親しまれている気はするけど、ジャスコよりは(ちょっとだけ)お高い気がするんだけど。
さすがに高島屋のタオルだと高すぎか。
日本人にも定着したイメージ、「英国人がお茶を飲む」というネタもしっかり出てきます。
ただし「自動栄養飲料合成機」というパチもんでな!
映画のみどころをもう1こ挙げておくならば、「無限不可能性ドライブ」でしょう。
原作のほうでもたいそう皮肉な生まれと使われ方をしている航法ですが、映画はそれを映像化してるんですよ!
不可能を映像化するなんて不可能じゃないの!?
と思われてしまいますが、映画らしい処理をしていて楽しめます。
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