めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
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いろいろありまして、某国の北の方の都市にちょっとだけ滞在。
となると、紅茶屋さんをチェックしないといけないですな!
というわけで行ってみた紅茶屋さんその1.
「eteaket」というところ。
茶葉もいろいろ、ティーポットもかわいいドット柄のを販売しています。
とりあえずは一番スタンダードなものを…ということで、Breakfast blendをば。
箱もかわいい。
出先なのでちょっと楽をしようと、ティーバッグです。
お店にはティーバッグとリーフタイプと両方ありました。
ティーバッグ自体はこんなかんじ。
ピラミッド型ですね。
ティーバッグですが、茶葉の刻まれっぷりはやや粗め。
水色はこんなかんじ。
ちょっと濃い目かな?
でも朝食用に、たっぷりミルクいれてのむんだからこんなもんだよね!
味としてはまさにスタンダード。まさにブレックファスト系。とはいえ渋味は思ったよりもきつくないですね。ストレートでもいける。
でもせっかくだから、ミルクティーで飲みたいよねー。
ミルクティーにすれば、甘いお菓子はもちろん、塩味の朝ごはんにもしっかり合います。
またこのお店に行く機会があれば、他のお茶も試してみたいなあ。
となると、紅茶屋さんをチェックしないといけないですな!
というわけで行ってみた紅茶屋さんその1.
「eteaket」というところ。
茶葉もいろいろ、ティーポットもかわいいドット柄のを販売しています。
とりあえずは一番スタンダードなものを…ということで、Breakfast blendをば。
箱もかわいい。
出先なのでちょっと楽をしようと、ティーバッグです。
お店にはティーバッグとリーフタイプと両方ありました。
ティーバッグ自体はこんなかんじ。
ピラミッド型ですね。
ティーバッグですが、茶葉の刻まれっぷりはやや粗め。
水色はこんなかんじ。
ちょっと濃い目かな?
でも朝食用に、たっぷりミルクいれてのむんだからこんなもんだよね!
味としてはまさにスタンダード。まさにブレックファスト系。とはいえ渋味は思ったよりもきつくないですね。ストレートでもいける。
でもせっかくだから、ミルクティーで飲みたいよねー。
ミルクティーにすれば、甘いお菓子はもちろん、塩味の朝ごはんにもしっかり合います。
またこのお店に行く機会があれば、他のお茶も試してみたいなあ。
今回もレポートの話。
レポートの話に関してよく槍玉に挙げられるのが、いわゆるレポート販売サイト。
まあ実験課題とか検索するとけっこうひっかかってくるから、ネットで情報を得ようとするとその手に飛びついてしまうって気持ちも予測できなくはない。
ただ当然そんなのはレポート見る側も予測できてるからチェックしてるし、ばれたら点ががつんと低くなる(やさしいところは。きついところだと単位があやうくなる)のは当たり前。
…なんだけど、それ以前に、「レポート販売サイトに出てるレポートってぶっちゃけあんまりレベル高くないんじゃね?」ってことを知らせておきたい。ぶっちゃけたい。
まあ営業妨害になると怒られるかもしれんので、個々のケースの話はしませんが、「これうちんとこきたらがっつんがっつんツッコミいれちゃうよー」みたいなのは多い。
引用元を明らかにしていないとか。
あまつさえ文献の文章そのまんま写してるとか(剽窃ですよ!)。
事項を並べてるだけで、ちっとも論理的じゃないとか。
考察に、結果のまとめだらだら書いてるだけとか。
そもそも全体的に全然説明が足りてないとか。
そういう「元々レベルの高くないもの」を参照してレポートを作ったところで、果たしてそれはレベルの高いレポートになりうるのだろうか?ってのをちょっと考えてほしいね。
いやまああのレベルで十分、っていう授業も世の中にはあるだろうけど。
にしても、そもそも怒られて減点されたり単位がでなくなったりするリスクを冒してまで参照すべきものか?ってのは考えてほしい。
たぶん君が文献参照しながらがんばって書いたほうが、完成度は高くなると思うよ!
いやまじで。
レポートの話に関してよく槍玉に挙げられるのが、いわゆるレポート販売サイト。
まあ実験課題とか検索するとけっこうひっかかってくるから、ネットで情報を得ようとするとその手に飛びついてしまうって気持ちも予測できなくはない。
ただ当然そんなのはレポート見る側も予測できてるからチェックしてるし、ばれたら点ががつんと低くなる(やさしいところは。きついところだと単位があやうくなる)のは当たり前。
…なんだけど、それ以前に、「レポート販売サイトに出てるレポートってぶっちゃけあんまりレベル高くないんじゃね?」ってことを知らせておきたい。ぶっちゃけたい。
まあ営業妨害になると怒られるかもしれんので、個々のケースの話はしませんが、「これうちんとこきたらがっつんがっつんツッコミいれちゃうよー」みたいなのは多い。
引用元を明らかにしていないとか。
あまつさえ文献の文章そのまんま写してるとか(剽窃ですよ!)。
事項を並べてるだけで、ちっとも論理的じゃないとか。
考察に、結果のまとめだらだら書いてるだけとか。
そもそも全体的に全然説明が足りてないとか。
そういう「元々レベルの高くないもの」を参照してレポートを作ったところで、果たしてそれはレベルの高いレポートになりうるのだろうか?ってのをちょっと考えてほしいね。
いやまああのレベルで十分、っていう授業も世の中にはあるだろうけど。
にしても、そもそも怒られて減点されたり単位がでなくなったりするリスクを冒してまで参照すべきものか?ってのは考えてほしい。
たぶん君が文献参照しながらがんばって書いたほうが、完成度は高くなると思うよ!
いやまじで。
期末時期が近づいてくると学生も先生も頭を抱えるレポートあれやこれやですが、そういう現場まっただなかに放り込まれている立場から言えることを述べておきたい。
例の事件やなんやかやで、「剽窃=コピペはどうも悪いことらしい」という認識がちょっと広まったかなーとか甘いこと考えていたのですが、やっぱりその程度で世の中どうにかなるほど甘くなかったぜ!
具体的に体験した例を問題ない形で抽象化したかたちで言うとですね、「コピペは悪→じゃあコピペじゃなきゃ悪くない→文献見ながら手打ちすればいい!」って考え方する場合だってあるんだぜ、と。
(……これくらいなら言ってもいいよね?特定の誰かの発言じゃないし)
もちろん、それも「剽窃」なんですが、「剽窃」というものが何かというのを理解するのって意外と難しいぞ!ってことがわかった。
定義だけで説明してもだめだし、例示で説明しても「じゃあそうしなければいいよね」ってなるし。
両方をうまく回さないといけないんだな。
どんな媒体であろうとどんなツールをつかおうと、他人の書いたものを原典示さずに自分のレポートなり論文なりに書いたら剽窃だよ!
「一 字一句そっくり同じじゃなきゃ剽窃にならないよね!ちょっと語尾かえたらいいよね!」ってのもアウトだよ!それは「直接引用」にならないだけであって、 「間接引用」として当たり前の話だし(そもそも間接引用はもう少し文脈に合わせて文をカスタマイズすると思うけど)、間接引用だって原典示さなきゃ他人の ものを自分のものに見せかけてるって点では一緒だよ!
それと、「引用」っていうのは「直接引用(原典の文章をそのまま写すこと)」だけを指すと思っている学生って少なからずいる。
まあ大学によるのかもしれんが、いるっちゃーいるのである。
間 接引用(文献の内容を自分なりにまとめる)も立派な引用だよ!むしろ研究者の間では間接引用を推奨してるよ!直接引用が多すぎる論文なんかへたしたら受け 入れてもらえないぜ(知らない学生が偶然検索でここを見ないとも限らないから説明しておくと、論文というのは書いたら終わりじゃなくって、ふつう論文を載 せているジャーナルに投稿して、審査を受けて、パスしたら掲載されるけどダメって言われたら突っ返されるというシステムがある。つまり直接引用だらけの論 文は突っ返される可能性がある)!
だから「引用元明らかにしてるのにー!」って主張しても、直接引用だらけのレポートは「自分で文章書いてない」 という点で減点されても文句は言えないんだぜ原理的には。まあそのへんは各大学各学部各講義で違うから一般化できないけど。でもそういう観点から直接引用 だらけのレポートを減点する先生がいても、それはむしろ普通のことなんだぜ。
こういうことは折に触れていうようにしているけども、果たしてどれくらいの学生の記憶にとどまってくれるのかは不明。
まあそのへんは学生を信じるしかないよねー。
それと自助でこういう情報を探す学生がいるかもしれんと思って一応書いてみる。
まあ本当に検索でたどり着くことがあるかどうかはわからんが。
情報のありかは多いほうがいいだろう。
例の事件やなんやかやで、「剽窃=コピペはどうも悪いことらしい」という認識がちょっと広まったかなーとか甘いこと考えていたのですが、やっぱりその程度で世の中どうにかなるほど甘くなかったぜ!
具体的に体験した例を問題ない形で抽象化したかたちで言うとですね、「コピペは悪→じゃあコピペじゃなきゃ悪くない→文献見ながら手打ちすればいい!」って考え方する場合だってあるんだぜ、と。
(……これくらいなら言ってもいいよね?特定の誰かの発言じゃないし)
もちろん、それも「剽窃」なんですが、「剽窃」というものが何かというのを理解するのって意外と難しいぞ!ってことがわかった。
定義だけで説明してもだめだし、例示で説明しても「じゃあそうしなければいいよね」ってなるし。
両方をうまく回さないといけないんだな。
どんな媒体であろうとどんなツールをつかおうと、他人の書いたものを原典示さずに自分のレポートなり論文なりに書いたら剽窃だよ!
「一 字一句そっくり同じじゃなきゃ剽窃にならないよね!ちょっと語尾かえたらいいよね!」ってのもアウトだよ!それは「直接引用」にならないだけであって、 「間接引用」として当たり前の話だし(そもそも間接引用はもう少し文脈に合わせて文をカスタマイズすると思うけど)、間接引用だって原典示さなきゃ他人の ものを自分のものに見せかけてるって点では一緒だよ!
それと、「引用」っていうのは「直接引用(原典の文章をそのまま写すこと)」だけを指すと思っている学生って少なからずいる。
まあ大学によるのかもしれんが、いるっちゃーいるのである。
間 接引用(文献の内容を自分なりにまとめる)も立派な引用だよ!むしろ研究者の間では間接引用を推奨してるよ!直接引用が多すぎる論文なんかへたしたら受け 入れてもらえないぜ(知らない学生が偶然検索でここを見ないとも限らないから説明しておくと、論文というのは書いたら終わりじゃなくって、ふつう論文を載 せているジャーナルに投稿して、審査を受けて、パスしたら掲載されるけどダメって言われたら突っ返されるというシステムがある。つまり直接引用だらけの論 文は突っ返される可能性がある)!
だから「引用元明らかにしてるのにー!」って主張しても、直接引用だらけのレポートは「自分で文章書いてない」 という点で減点されても文句は言えないんだぜ原理的には。まあそのへんは各大学各学部各講義で違うから一般化できないけど。でもそういう観点から直接引用 だらけのレポートを減点する先生がいても、それはむしろ普通のことなんだぜ。
こういうことは折に触れていうようにしているけども、果たしてどれくらいの学生の記憶にとどまってくれるのかは不明。
まあそのへんは学生を信じるしかないよねー。
それと自助でこういう情報を探す学生がいるかもしれんと思って一応書いてみる。
まあ本当に検索でたどり着くことがあるかどうかはわからんが。
情報のありかは多いほうがいいだろう。
なんか気付いたら、日本心理学会の「投稿の手引き」が改訂されていた件。
現在の投稿の手引きはこちら
基本的にわたしは指導教員とか周囲が「論文は英語で書いて国際ジャーナルに投稿するもの」って言ってるのを鵜呑みにしていて、まだ『心理学研究』等に投稿した経験がないのですが(なお「就職する際に『心理学研究』が 1本あると有利」という噂を聞いたことはありますが実際どうなのかは未検証です。だれか『心理学研究』持ちで超さくさく就職したって例やそうでもなかっ たって例をご存じでしたらこっそりとあるいははっきりと教えていただけると幸いです)、そんな環境においても「日本語で何かを書くときは日本心理学会の投稿の手引きを参照しろ」というのは常々言われていましたね。
まあようするに、日本語で何かを書くとき=レポート、卒論、修論、(人によっては)博論、ですが。
悲しいかなわたしは英語ぐだぐだマケグミ学生だったので博論も日本語でしたよええ残念ながら。
なので『心理学研究』投稿経験こそないものの、「投稿の手引き」とは(こちらから一方的に)親しいお付き合いをさせていただいておったのですが、やはりこの時代の変遷への対応が必要になったのでしょう、結構がっつり改訂が入ったようですね。
まあ2005年からこっち、APAもとうの昔に6版が出てその翻訳も出ましたからね。
今回の改訂で「投稿の手引き」を読み返してみると、結構APA5版と記憶が混じってる自分がいて若干驚く。
たとえばAPAには、編集された書籍の特定章を引用する方法も、編集されていない(著者がまるまる著者)書籍の特定章を引用する方法も書いてあるけど、投稿の手引きには前者しかない。
2005年と2015年を比較すると、けっこう引用関係に関しては手引きが変わってて、例えば直接引用の箇所に関しては、2005年度版は””を引用符として使用するようにってなってたけど、2015年度版は「」も引用符として使用できるようになってる。
(追記:2015年度10月改訂版ではさらに、引用符を””でなく「」でつかえっていってて若干混乱)
あと、わたしが学部生のころ卒論の形式の参考のときに読んだ記憶だと、「孫引き」に関する記述があったように思うんだけど、2005年度版ですらそれはない。
ただ「間接引用」という単語がつかわれていて、
"間接引用は出来る限り避ける。止むを得ない場合は,依拠するところを明らかにする。"
としか書いてない。
ただ文献の文章をそのまま引用してくることを「直接引用」と言っているため、「じゃあ間接引用ってなんだ???」となってしまう。
2015年度版にいたっては
"原則として間接引用はしない。"
としか書いてなくて、いやまあ正しくはそうあるべきなんだけど、学生のレポートに孫引き禁止したところで、ちゃんと原典にあたれる学生ってめっちゃ少ないですからね。
APAでは、「二次資料」の扱いがそれにちかいかな。
他の先生方はどう苦慮されているのか知りたい。
んで、一番大きなポイントは、インターネット上の資料の扱いの変化。
2005年版では
”電子媒体からの引用は,極力避ける。但し,やむをえず引用する場合には電子媒体か
らの削除が予想されるので,必ずコピーをとって保管し,編集委員会からの請求があっ
た場合,速やかに提出できるようにする”
なんてきっついことが書いてあるうえ、
”著者名,年号,資料題名,サイト名,アップデート日,<URL>,(資料にアクセスした日)”
を全部書けってかいてあるんですよ。
一方の2015年版ではそういうけちくさいこと言わずに、でも冊子体がある場合はそっちで引用してね、doiあったらちゃんと書いてね、んで
"(著者名),(公開年),(表題),(ウェブサイト名),(Retrieved from URL),(アクセス年月日)"
を書いてねってかいてある。
まあこっちも引用するなら印刷しとけとは書いてあるけどね。
オンライン資料もそれなりに日の目を見だしたことだなあ。
あとグラフの目盛は必ず内側っていってたのに2015年は外側もありになってたり、ちょいちょい変更がいろいろとあります。
なのでちょいちょい確認しておいたほうがいいかも。
うっかり2005年版のつもりで学生にあれこれ言ってたら、たまに2015年版と齟齬が出てしまってお互い「あっれー?」ってなるので。
やっぱりこういうところでも、ちゃんと原典確認するのだいじなんだなあ。
現在の投稿の手引きはこちら
基本的にわたしは指導教員とか周囲が「論文は英語で書いて国際ジャーナルに投稿するもの」って言ってるのを鵜呑みにしていて、まだ『心理学研究』等に投稿した経験がないのですが(なお「就職する際に『心理学研究』が 1本あると有利」という噂を聞いたことはありますが実際どうなのかは未検証です。だれか『心理学研究』持ちで超さくさく就職したって例やそうでもなかっ たって例をご存じでしたらこっそりとあるいははっきりと教えていただけると幸いです)、そんな環境においても「日本語で何かを書くときは日本心理学会の投稿の手引きを参照しろ」というのは常々言われていましたね。
まあようするに、日本語で何かを書くとき=レポート、卒論、修論、(人によっては)博論、ですが。
悲しいかなわたしは英語ぐだぐだマケグミ学生だったので博論も日本語でしたよええ残念ながら。
なので『心理学研究』投稿経験こそないものの、「投稿の手引き」とは(こちらから一方的に)親しいお付き合いをさせていただいておったのですが、やはりこの時代の変遷への対応が必要になったのでしょう、結構がっつり改訂が入ったようですね。
まあ2005年からこっち、APAもとうの昔に6版が出てその翻訳も出ましたからね。
今回の改訂で「投稿の手引き」を読み返してみると、結構APA5版と記憶が混じってる自分がいて若干驚く。
たとえばAPAには、編集された書籍の特定章を引用する方法も、編集されていない(著者がまるまる著者)書籍の特定章を引用する方法も書いてあるけど、投稿の手引きには前者しかない。
2005年と2015年を比較すると、けっこう引用関係に関しては手引きが変わってて、例えば直接引用の箇所に関しては、2005年度版は””を引用符として使用するようにってなってたけど、2015年度版は「」も引用符として使用できるようになってる。
(追記:2015年度10月改訂版ではさらに、引用符を””でなく「」でつかえっていってて若干混乱)
あと、わたしが学部生のころ卒論の形式の参考のときに読んだ記憶だと、「孫引き」に関する記述があったように思うんだけど、2005年度版ですらそれはない。
ただ「間接引用」という単語がつかわれていて、
"間接引用は出来る限り避ける。止むを得ない場合は,依拠するところを明らかにする。"
としか書いてない。
ただ文献の文章をそのまま引用してくることを「直接引用」と言っているため、「じゃあ間接引用ってなんだ???」となってしまう。
2015年度版にいたっては
"原則として間接引用はしない。"
としか書いてなくて、いやまあ正しくはそうあるべきなんだけど、学生のレポートに孫引き禁止したところで、ちゃんと原典にあたれる学生ってめっちゃ少ないですからね。
APAでは、「二次資料」の扱いがそれにちかいかな。
他の先生方はどう苦慮されているのか知りたい。
んで、一番大きなポイントは、インターネット上の資料の扱いの変化。
2005年版では
”電子媒体からの引用は,極力避ける。但し,やむをえず引用する場合には電子媒体か
らの削除が予想されるので,必ずコピーをとって保管し,編集委員会からの請求があっ
た場合,速やかに提出できるようにする”
なんてきっついことが書いてあるうえ、
”著者名,年号,資料題名,サイト名,アップデート日,<URL>,(資料にアクセスした日)”
を全部書けってかいてあるんですよ。
一方の2015年版ではそういうけちくさいこと言わずに、でも冊子体がある場合はそっちで引用してね、doiあったらちゃんと書いてね、んで
"(著者名),(公開年),(表題),(ウェブサイト名),(Retrieved from URL),(アクセス年月日)"
を書いてねってかいてある。
まあこっちも引用するなら印刷しとけとは書いてあるけどね。
オンライン資料もそれなりに日の目を見だしたことだなあ。
あとグラフの目盛は必ず内側っていってたのに2015年は外側もありになってたり、ちょいちょい変更がいろいろとあります。
なのでちょいちょい確認しておいたほうがいいかも。
うっかり2005年版のつもりで学生にあれこれ言ってたら、たまに2015年版と齟齬が出てしまってお互い「あっれー?」ってなるので。
やっぱりこういうところでも、ちゃんと原典確認するのだいじなんだなあ。
前回のまったり本読みが「ノーベル賞何するものぞ」的な本読みだったので、「じゃあ他にもノーベル賞作家の本読んでみようぜ!」ということでちょっと読んでみたのが
パトリック・モディアノ「失われた時のカフェで」
これSF風味があるということで手に取ったにも関わらず、わたしが若干躓いたポイントがある。
フランス語・フランス文化にあまりなじみがないせいで、固有名詞おぼえにくいいいいいいい。
そのせいで誰が誰だったかあやふやになりがち。
しかし翻訳者によると、出てくる地名や本のタイトルは基本的に実在のものだそうで(人名とカフェの名前などのみフィクション名)、そのへんのディティールがたいそう日常との地続き感を醸し出してくれるっぽい。
そんなかんじでフランスでは大人気なんだそうな。
タイトルから想像できるとおり、喪失感というかメランコリーというか郷愁というかそういう味わいがじっくり楽しめる物語ではある。
…ちゃんと人名を整理できていればな。
そして翻訳者が意図して「フランス語っぽさ」を残そうとしているので、フランス語をカタカナ化した普通名詞もいっぱいでてくるので、そこんとこもちゃんと整理しとかないといけない。
……おもしろいけど、日本人読者には若干ハードルたかいよ!?
翻訳者は日本であまり人気が出ないことを嘆いていたけど、まあしかたないんじゃないかな…
イメージでいえば、京大生が森見登美彦作品楽しむかんじですな。
森見作品が他国他大学生にも同じ程度の人気を博すかってーとやっぱり難しいんでないかな。
そういったディティールを超えた普遍性の部分において支持されることはもちろん両者ともあると思うけどね。
んでもってこれ、初見で「えっえっえっ」っていうかんじを楽しむというところもあるので、あんまし語ると楽しみを損なっちゃうんだよなあ。
なのであんまし言及できない。
となると語るべきことがほとんどない。
一言で言うなら、これもまたファムファタールの一形態なのだろう。と。
そして、あの帰結は当然のものであろう。と。
まああらすじというかストーリーだけを追うのってあんましイクナイよね。
小説は文体を味わうものなので。
とはいえこれは翻訳ですが。
翻訳とはいえ、翻訳あとがきをがっっっっっっっっっっつりつけてることからもおわかりいただけるように、翻訳なりに文体を再現すべく苦心されておられるようす。
そしてこの文体、繊細なガラス細工のごとく、触れると壊れてしまいそうな儚さを感じられるの、わたしはわりときらいじゃないです。
スタージョンの『夢見る宝石』がヒロインの好きな本の一つとして挙げられているところからもだいたい想像がつくのではないですかな。
つまり、スタージョン好きならおすすめ!ってことだ。
しかしまああれですな、ノーベル文学賞ってほんとどういうものなのかよくわからんな。
まあわたしは文芸評論家ではないので、そういうのを深く考えるのはそういうおしごとの人にお任せしよう。
わたしがするのは、文体をゆっくり舌の上にころがすことだけですよ。
パトリック・モディアノ「失われた時のカフェで」
これSF風味があるということで手に取ったにも関わらず、わたしが若干躓いたポイントがある。
フランス語・フランス文化にあまりなじみがないせいで、固有名詞おぼえにくいいいいいいい。
そのせいで誰が誰だったかあやふやになりがち。
しかし翻訳者によると、出てくる地名や本のタイトルは基本的に実在のものだそうで(人名とカフェの名前などのみフィクション名)、そのへんのディティールがたいそう日常との地続き感を醸し出してくれるっぽい。
そんなかんじでフランスでは大人気なんだそうな。
タイトルから想像できるとおり、喪失感というかメランコリーというか郷愁というかそういう味わいがじっくり楽しめる物語ではある。
…ちゃんと人名を整理できていればな。
そして翻訳者が意図して「フランス語っぽさ」を残そうとしているので、フランス語をカタカナ化した普通名詞もいっぱいでてくるので、そこんとこもちゃんと整理しとかないといけない。
……おもしろいけど、日本人読者には若干ハードルたかいよ!?
翻訳者は日本であまり人気が出ないことを嘆いていたけど、まあしかたないんじゃないかな…
イメージでいえば、京大生が森見登美彦作品楽しむかんじですな。
森見作品が他国他大学生にも同じ程度の人気を博すかってーとやっぱり難しいんでないかな。
そういったディティールを超えた普遍性の部分において支持されることはもちろん両者ともあると思うけどね。
んでもってこれ、初見で「えっえっえっ」っていうかんじを楽しむというところもあるので、あんまし語ると楽しみを損なっちゃうんだよなあ。
なのであんまし言及できない。
となると語るべきことがほとんどない。
一言で言うなら、これもまたファムファタールの一形態なのだろう。と。
そして、あの帰結は当然のものであろう。と。
まああらすじというかストーリーだけを追うのってあんましイクナイよね。
小説は文体を味わうものなので。
とはいえこれは翻訳ですが。
翻訳とはいえ、翻訳あとがきをがっっっっっっっっっっつりつけてることからもおわかりいただけるように、翻訳なりに文体を再現すべく苦心されておられるようす。
そしてこの文体、繊細なガラス細工のごとく、触れると壊れてしまいそうな儚さを感じられるの、わたしはわりときらいじゃないです。
スタージョンの『夢見る宝石』がヒロインの好きな本の一つとして挙げられているところからもだいたい想像がつくのではないですかな。
つまり、スタージョン好きならおすすめ!ってことだ。
しかしまああれですな、ノーベル文学賞ってほんとどういうものなのかよくわからんな。
まあわたしは文芸評論家ではないので、そういうのを深く考えるのはそういうおしごとの人にお任せしよう。
わたしがするのは、文体をゆっくり舌の上にころがすことだけですよ。
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もっさり:日々の雑感をもっさり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
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