めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
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科学哲学してるひとと飲む機会があったので、ひさびさにそれっぽいこと考えてみる。
「科学を信じる」ことは可能か。
つまり「科学を信じる」という言い回しは妥当なのか。
と、大上段にかまえたところで、「定義問題じゃね?」というよくあるパタンにおちそうだ。
科学とは何か。
それは結局方法論をさすものではないのか?
現象なり、まあ「世界」って言っちゃってもいいんだけどさ。
それを記述するための方法?
だいじなのは、科学とは「方法」であって「記述そのもの」ではないということかと。
まーよく科学と宗教の対立って言うけどさ。あれそもそも対立項じゃない気がする。
宗教のほうは、「せかいはかみがつくった」とか、もろ「記述そのもの」だと思う。
科学ってなにか、っていうと、やっぱし「反証可能な仮説を、追試可能な実験(広義で。)によって検証する方法」のことだと思うんだよな。
方法を信じるっておかしくね?
じゃあ「わたしは印象派を信じます」とか、「わたしは分散分析を信じます」とか、「わたしは鶴翼の陣を信じます」とか言うの?
まあ修辞的には成立するのかもしれないけど。でも擬人くさいよね。
信じるということばに対応させるためには、「科学で立証された言説を信じます」とかそういうのになるんじゃないかと。
んでもって「科学」という方法は、「とりあえず今はAを真とする」ってな留保つき言説をうむもんじゃなかろか。
だからAが反証されたら、もうその言説は捨てて別のをうちたてなきゃなんない。
「今はこれでいいけど後から意見かえるかもー」って信じてることになるのか?
科学はただの方法。
世界を表現するのに、油絵を描いてもいいし、交響曲を作曲してもいいし、映画をとってもいい。
科学的方法で、現象を説明してもいい。
修辞的に詩を書いてもいい。
油絵描くのには、一応の完成がある。
ほんと言うと、いつまでたっても手を入れられるけど、でもとにかく完成がある。
科学的研究にも、一応の完成がある。
ほんと言うと、すべての事象を立証したいところだけど、時間とかいろいろ無理があるので、先人の知恵を借りたり後続にゆだねたりする。
でも、ひとつ記述が完成をみたからといって、もうそれで終わり、にはならない。
さらに精密に。
あるいは別の角度を。
方法そのものには帰結はない。
まーそんなこと考えたらさー。「神殺し」の犯人は科学じゃないとおもーう。
だって「せかいはかみがつくった」かどうか科学では調べられない。
いやー宇宙の始まりはねー、とかそういう説のことじゃなくて。
「じゃあ始まりの始まりは何?」「無から有がどうしてできるの?」とかわかんないよねー。
わかるひとだれかかみくだいておしえて。
反証可能な仮説じゃないものを吟味するのは、科学のカテゴリに入らない。
だから科学単独では、否定できない。
じゃー何がかみごろしかって、やっぱそれは「かみさまとかもういらないしー」と(意識的かどうかはしらん)くだされた価値判断だとおも。
最高の価値を与えられていた「かみさま」という記述が、いつのまにかその地位を落としていた、というだけで。
あれでもなんで「かみさまいらなーい」ってなったんだっけ?
ここまで書いてねむけ限界。
つづきはまたこんど。
「科学を信じる」ことは可能か。
つまり「科学を信じる」という言い回しは妥当なのか。
と、大上段にかまえたところで、「定義問題じゃね?」というよくあるパタンにおちそうだ。
科学とは何か。
それは結局方法論をさすものではないのか?
現象なり、まあ「世界」って言っちゃってもいいんだけどさ。
それを記述するための方法?
だいじなのは、科学とは「方法」であって「記述そのもの」ではないということかと。
まーよく科学と宗教の対立って言うけどさ。あれそもそも対立項じゃない気がする。
宗教のほうは、「せかいはかみがつくった」とか、もろ「記述そのもの」だと思う。
科学ってなにか、っていうと、やっぱし「反証可能な仮説を、追試可能な実験(広義で。)によって検証する方法」のことだと思うんだよな。
方法を信じるっておかしくね?
じゃあ「わたしは印象派を信じます」とか、「わたしは分散分析を信じます」とか、「わたしは鶴翼の陣を信じます」とか言うの?
まあ修辞的には成立するのかもしれないけど。でも擬人くさいよね。
信じるということばに対応させるためには、「科学で立証された言説を信じます」とかそういうのになるんじゃないかと。
んでもって「科学」という方法は、「とりあえず今はAを真とする」ってな留保つき言説をうむもんじゃなかろか。
だからAが反証されたら、もうその言説は捨てて別のをうちたてなきゃなんない。
「今はこれでいいけど後から意見かえるかもー」って信じてることになるのか?
科学はただの方法。
世界を表現するのに、油絵を描いてもいいし、交響曲を作曲してもいいし、映画をとってもいい。
科学的方法で、現象を説明してもいい。
修辞的に詩を書いてもいい。
油絵描くのには、一応の完成がある。
ほんと言うと、いつまでたっても手を入れられるけど、でもとにかく完成がある。
科学的研究にも、一応の完成がある。
ほんと言うと、すべての事象を立証したいところだけど、時間とかいろいろ無理があるので、先人の知恵を借りたり後続にゆだねたりする。
でも、ひとつ記述が完成をみたからといって、もうそれで終わり、にはならない。
さらに精密に。
あるいは別の角度を。
方法そのものには帰結はない。
まーそんなこと考えたらさー。「神殺し」の犯人は科学じゃないとおもーう。
だって「せかいはかみがつくった」かどうか科学では調べられない。
いやー宇宙の始まりはねー、とかそういう説のことじゃなくて。
「じゃあ始まりの始まりは何?」「無から有がどうしてできるの?」とかわかんないよねー。
わかるひとだれかかみくだいておしえて。
反証可能な仮説じゃないものを吟味するのは、科学のカテゴリに入らない。
だから科学単独では、否定できない。
じゃー何がかみごろしかって、やっぱそれは「かみさまとかもういらないしー」と(意識的かどうかはしらん)くだされた価値判断だとおも。
最高の価値を与えられていた「かみさま」という記述が、いつのまにかその地位を落としていた、というだけで。
あれでもなんで「かみさまいらなーい」ってなったんだっけ?
ここまで書いてねむけ限界。
つづきはまたこんど。
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カテゴリ説明
もっさり:日々の雑感をもっさり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
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最近デコーディングが気になる。
でも基本なんでもこい。
好奇心は悪食。
好きな作家(敬称略)
川上弘美
小林秀雄
津原泰水
森茉莉
レイ・ブラッドベリ
イタロ・カルヴィーノ
グレッグ・イーガン
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