めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
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なんか寝込んでる間に世の中は「大学とはなんぞや」みたいな議論が湧いてたみたいだ。
しまった乗り損ねた。寝込んで損した。
いや寝込んでいいことなんか何もないけど。
とはいえそもそも議論の真っ只中に躍り出る度胸もツールもないので、ここでひそひそ自分の納得がいくように議論をしてみる。
ひそひそなのでしまう。
しまった乗り損ねた。寝込んで損した。
いや寝込んでいいことなんか何もないけど。
とはいえそもそも議論の真っ只中に躍り出る度胸もツールもないので、ここでひそひそ自分の納得がいくように議論をしてみる。
ひそひそなのでしまう。
しょっぱなの話は「大学でアルファベットを教えることの是非」みたいなことだったっぽい。
hamusoku.com/archives/4123267.html
togetter.com/li/102569
引いたか引かなかったかで言うなら、まあ引いたさ。そりゃ当たり前の反応だろう。
んで、アリかナシかを考えるなら、やっぱり「アリ」だと思う。
今年度になって、「偏差値」というのがあまりお高くなくてAO入試というやつがある大学に実際に行ってみたら、いわゆる「基礎学力」というのがあまりにも身についてない学生ってすっげー多いもの。
それに対してどう対処するのか、というのが毎度毎度の先生方の苦悩だったもの。
だから、これを肯定する話が出てくるのは当然だろう。
d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110219/1298093855
そしてそれが「叩かれる」のも。
このひとの追記もあって、併せて「うーむ」と考え込む。
d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110221/1298307163
確かに大学でしか勉強できないことというのはあって、大学はそれを教えるべきだという意見には賛同する。
てゆか賛同しないひといないだろう。
でも大学でしか勉強できないことというのは基礎学力を道具にして学ぶから、基礎学力がなってないと学ぶことができない。
基礎学力がなってない学生に、大学でしか勉強できないことを学んでもらうために、基礎学力ケアをしよう、というのが大学の先生たちの態度だろう。
「そんな学生をそもそも受け入れんな。そんな大学なら潰れてしまえ」というのがネットでよく見る意見のようだ。
この意見は果たして妥当なのかどうか。
いや、ちょっと前まではわたしも「そんな学生そもそも入れんな」派でしたよ。正直なところ。
でも実際、「そんな大学」の「そんな学生」に接してみると、これってそんな妥当でない気がするんだよなあ。
確かに、基礎学力足りてない子は、授業投げやり気味になることが多いさ。
「むずかしーい」「わかんなーい」で投げちゃう子だっている。
でも、喩えを援用したりその子が持ってる範囲の知識から近似してみせたりして、その子が「わかった」と思う瞬間がくるときがある。
それはやっぱり、教育としては尊いことなんじゃないかと思う。
できれば、より多くのひとがその経験に出会えたら、と願うのはまあ妥当じゃないかね。
まあそれだけなら高校までの教育でも塾や予備校でも可能なんだけど、他と違って大学特有の性格というのが実は重要なんじゃないかと思う。
基本的に、高校までの教育やそれに準ずる教育産業は、「問題」があって「答え」がある。
必ず「答え」がある。
だから、多くのことを「知っている」というのが多くの「答え」を知っていることに結び付けられて、それが「賢い」と称される。
大学では、必ずしもそうではない。
学ぶための知識、道具としての知識は「問題」と「答え」の形式にあてはまるし、先生が「答え」を知っているけども、大学での学問の多くは、「答え」を持っていない。
だから、「知らない」ことに対するネガティブ感が、高校までの場よりも少ないんじゃないかねえ。
「知らない」ことがあるのは当たり前。別に恥ずかしくないよ。
知らないなら、勉強すればいいじゃない。
そういうスタンスが、大学にはあるんじゃないかなあ、と思う。
そういえば、学部生んときに飲食系のバイトするとけっこー理不尽な目にあったんだよなあ。
まあわたしがとろくさいというのが一番の原因なんだが、「○大生のくせに」という怒られ方なんだよなあ。
「○大生」→「賢い」→「何でも知っている」という認識になるようで、教わっていないことも「できて当然」といわれたときには心底驚いたものだ。
「勉強ができる」のならば、その店のマニュアルを教わる前から知ってて当然、というわけだ。
酷い場合には、バイト先の(会ったこともない人との)人間関係すら「知ってて当然」って言われるんだぜ!
それどんな超能力だよ。
別に学歴差別をするわけでもないけども、「大学に行くほど賢いなら何でも知ってて当然」という考え方をするひとは、大学に在籍したことがないひとが多いように思う。
「大学に行くほど」の部分を削って別の言い方をするなら、「知識があるのが当たり前で、知識がないことは恥ずかしいこと」という考え方をするひと、でもいい。
いやまあ「社会通念」とかは知ってないと恥ずかしい目にあうこともあるけどさ。
「知らない」ということが当たり前で、知らないなら教わろう、勉強しよう、というスタンスが社会に広がるほーが、なんぼか生産的な気がする。
そーゆー意味では、いわゆる「Fラン大学」で「学び直し」をすることって、それなり有意義なんじゃないかねえ。
そんなんに税金をつぎ込むな、って言うひともいるようだが、果たして華々しい研究業績をあげるでもない「Fラン大学」にそんな言うほどの税金がつぎこまれてるのかは知らん。
山奥の道路を直すようなもんじゃね、と思うのだけど、それも「そんな山奥に住むような奴はとっとと都会に移住すべきで道路補修なんて止めろ」って言えないこともないしねえ。
「今まで身につかなかった学問してる暇とお金があったら就職しろ」という意見もあるようだけど、結局それは「知識=賢い」という認識の再生産に加担しろってことになるんじゃないのかねえ。
「知らないから賢くない。賢くないから大学行くな」と。
まあそのへんに関してはもう議論されてるみたいだから今更わたしがあおくっさいくちばしを挟む必要もなかろ。
まあ、ひとことで問題をまとめるならば、
「大学」=「賢い」=「何でも知ってる」みたいな風潮を徐々に静めて、大学をいろんなレベルでの「学びの場」にするのが一番なんじゃね。
ということか。
にしても、それなりにクラスター分けして欲しいとは思う。
論文読むための英語講義受けたい学生とアルファベットやってる学生をいっしょの教室にいれたってお互い不幸なわけだし。
そーゆー意味では、AO入試はやっぱいらんのじゃね、と思うが「お上の意向」はわたしのような下っ端には与り知れぬし。
まあなんにせよ、テニュアに就けてから悩んだらいいんじゃねっとも思う。
今のわたしはなんにもできないぜwwww
したっぱしょんぼり。
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びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
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ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
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