めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
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今回めずらしく非SF。
宮部みゆき『火車』
宮部みゆき初期の代表的作品。
ミステリでありながら経済小説であり、クレジットが浸透し始めた頃、「サラ金」という単語が定着し始めた頃の経済の闇を描いた佳品。
なのだが。
結末に大いに不満。
ネタバレしないで不満の中身を述べると、かつて鴻上尚史が「白紙のモノガタリは美しい。だが表現者ならばその先を描くべき(意訳。鴻上さんは本当にあとがきが面白いよな!)」とかいってたまさにそのまま。
最後は「いやそっから先を書けやぁー!」というか「あれこれ上下巻だっけ?つづきドコー」となってしまったのですわ。
そこに至るまでの過程がとても面白かっただけに残念極まりない。
「直木賞とれなかったのが残念、評価者は経済部分が難しくてわからんかったんじゃね」みたいなことを解説に書いてあったけど、たぶんそんなことはなくって単純に「白紙の美は賞にふさわしくないだろ」ってことなのでは。
あれだ、漫画的に言うならば、「俺たちの戦いはこれからだ!」よりも「と、いう昔の話だったんじゃ・・・」のほうがモノガタリとしては上等なのですよ。
どんなへたっぴな表現者であろうとも、最後まで書ききったのであれば、それはどんな文豪の未完小説よりも(表現者として)素晴らしい。
まあおもしろさの観点からはその不等式は成り立たないにしても。
「これはミステリではなくて経済小説ですよ」という体であれば、この終わりは暗示的であり秀逸と言えるかもしれない。
でもミステリとして読んじゃったんだよなー。
単純にプロモーションの失敗なのかもしれない。
プロモーションの失敗といえば、浦沢直樹の『20世紀少年』という漫画はプロモーションの失敗であるというのがわたしの自説である。
あれは、「犯人当て」のモノガタリとして読むから「失敗」なのだ。
「ともだち」は誰なのか、その正解を探すミステリ的読み方をするとあのラストは面白くないだろう。
でも、わたしはあの漫画は「記憶」をテーマとしたモノガタリであると主張したい。
「ともだち」が誰かという謎は、記憶を掘り下げるための装置でしかない。
たいせつに思っていたはずの記憶の細部が、砂のようにさらさらと指の間を抜け落ちていたことへの哀愁。
それこそがこのモノガタリの主軸なのではないか。
でなければ、昭和という近い昔をカギにして、いわゆるオッサンどもの郷愁をかきたてる意味がない。
犯人当てモノガタリであれば、完全に現在を舞台にしてもいいし、または完全に近未来SFにしてもいいし、なんなら歴史漫画にしてもいい。
そうではなくて郷愁をかきたてる昔に重要な情報があるという設定が、読者(おそらくオッサン)自身の記憶を想起させ、そしてその記憶のあやふやさに愕然とさせるのだ。
メイン読者であろうオッサンたちよ、あなたがたは小学校の一時期ちょっと遊んだともだち(そして現在はもうつながりはない)の名前や顔をちゃんと思い出せるか?
そしてその「思い出せないこと」を小学生のときに予期できたか?
あれは記憶のこぼれ具合に愕然とするためのモノガタリなのだ。
そもそもなつかしむべき記憶の想起がない若者こどもたちが読んでもしようのないものだ。
「犯人がっかり」と口さがなく罵るこどもたちは、10年20年たってから読み返すべき。
そのとききみは、小学校時代の友人をみな完璧に思い出すことができるか?
そしてそのとき、きみの胸に痛みは走らないか?
要はそういうことである。
まあ実際、アオリ文句などは犯人当てゲームのような様相を呈していたし、犯人当てに気をとられるのも致し方ないと思う。
わたしが「これは記憶のモノガタリだな」と思えたのは、雑誌連載で読まず単行本でまとめ読みだったのと、随所に見られる過去へのノスタルジーにいちいち反応していたからだろう。
後者はひとえに、ノスタルジー描写が魅力であり主軸であるブラッドベリを読み込んでいるからですね。
つまりブラッドベリ愛好者は『20世紀少年』をそういう系列のモノガタリとして読むべき。
んで、今回の『火車』をミステリ主軸として読んでしまったのは、普段わたしが経済小説を読まないから、経済小説が主軸である徴候をうまく拾えなかったからではないかな。
経済小説好きなひとなら、実にしみじみとラストを迎えられるのだろう。
経済に疎いわたしでは力不足だったというわけだ。
まああれだ、結局「あなたが食べたものがあなた」であるように、「わたしが読んだものがわたし」であるのだな。
こればっかりはしかたがない。
ということは、年取ればとるほど、今まで読んだ本によって本の楽しみ方が狭まったり広がったり深くなったり浅くなったりするのだろうなあ。
楽しみが(文字通り)しぬまで続くように、うまく本を読んでゆきたいなあ。
まあその前に、視力がそんなに低下しないように気をつけねばならんがな。
本読める程度に健康でいたいものです。
宮部みゆき『火車』
宮部みゆき初期の代表的作品。
ミステリでありながら経済小説であり、クレジットが浸透し始めた頃、「サラ金」という単語が定着し始めた頃の経済の闇を描いた佳品。
なのだが。
結末に大いに不満。
ネタバレしないで不満の中身を述べると、かつて鴻上尚史が「白紙のモノガタリは美しい。だが表現者ならばその先を描くべき(意訳。鴻上さんは本当にあとがきが面白いよな!)」とかいってたまさにそのまま。
最後は「いやそっから先を書けやぁー!」というか「あれこれ上下巻だっけ?つづきドコー」となってしまったのですわ。
そこに至るまでの過程がとても面白かっただけに残念極まりない。
「直木賞とれなかったのが残念、評価者は経済部分が難しくてわからんかったんじゃね」みたいなことを解説に書いてあったけど、たぶんそんなことはなくって単純に「白紙の美は賞にふさわしくないだろ」ってことなのでは。
あれだ、漫画的に言うならば、「俺たちの戦いはこれからだ!」よりも「と、いう昔の話だったんじゃ・・・」のほうがモノガタリとしては上等なのですよ。
どんなへたっぴな表現者であろうとも、最後まで書ききったのであれば、それはどんな文豪の未完小説よりも(表現者として)素晴らしい。
まあおもしろさの観点からはその不等式は成り立たないにしても。
「これはミステリではなくて経済小説ですよ」という体であれば、この終わりは暗示的であり秀逸と言えるかもしれない。
でもミステリとして読んじゃったんだよなー。
単純にプロモーションの失敗なのかもしれない。
プロモーションの失敗といえば、浦沢直樹の『20世紀少年』という漫画はプロモーションの失敗であるというのがわたしの自説である。
あれは、「犯人当て」のモノガタリとして読むから「失敗」なのだ。
「ともだち」は誰なのか、その正解を探すミステリ的読み方をするとあのラストは面白くないだろう。
でも、わたしはあの漫画は「記憶」をテーマとしたモノガタリであると主張したい。
「ともだち」が誰かという謎は、記憶を掘り下げるための装置でしかない。
たいせつに思っていたはずの記憶の細部が、砂のようにさらさらと指の間を抜け落ちていたことへの哀愁。
それこそがこのモノガタリの主軸なのではないか。
でなければ、昭和という近い昔をカギにして、いわゆるオッサンどもの郷愁をかきたてる意味がない。
犯人当てモノガタリであれば、完全に現在を舞台にしてもいいし、または完全に近未来SFにしてもいいし、なんなら歴史漫画にしてもいい。
そうではなくて郷愁をかきたてる昔に重要な情報があるという設定が、読者(おそらくオッサン)自身の記憶を想起させ、そしてその記憶のあやふやさに愕然とさせるのだ。
メイン読者であろうオッサンたちよ、あなたがたは小学校の一時期ちょっと遊んだともだち(そして現在はもうつながりはない)の名前や顔をちゃんと思い出せるか?
そしてその「思い出せないこと」を小学生のときに予期できたか?
あれは記憶のこぼれ具合に愕然とするためのモノガタリなのだ。
そもそもなつかしむべき記憶の想起がない若者こどもたちが読んでもしようのないものだ。
「犯人がっかり」と口さがなく罵るこどもたちは、10年20年たってから読み返すべき。
そのとききみは、小学校時代の友人をみな完璧に思い出すことができるか?
そしてそのとき、きみの胸に痛みは走らないか?
要はそういうことである。
まあ実際、アオリ文句などは犯人当てゲームのような様相を呈していたし、犯人当てに気をとられるのも致し方ないと思う。
わたしが「これは記憶のモノガタリだな」と思えたのは、雑誌連載で読まず単行本でまとめ読みだったのと、随所に見られる過去へのノスタルジーにいちいち反応していたからだろう。
後者はひとえに、ノスタルジー描写が魅力であり主軸であるブラッドベリを読み込んでいるからですね。
つまりブラッドベリ愛好者は『20世紀少年』をそういう系列のモノガタリとして読むべき。
んで、今回の『火車』をミステリ主軸として読んでしまったのは、普段わたしが経済小説を読まないから、経済小説が主軸である徴候をうまく拾えなかったからではないかな。
経済小説好きなひとなら、実にしみじみとラストを迎えられるのだろう。
経済に疎いわたしでは力不足だったというわけだ。
まああれだ、結局「あなたが食べたものがあなた」であるように、「わたしが読んだものがわたし」であるのだな。
こればっかりはしかたがない。
ということは、年取ればとるほど、今まで読んだ本によって本の楽しみ方が狭まったり広がったり深くなったり浅くなったりするのだろうなあ。
楽しみが(文字通り)しぬまで続くように、うまく本を読んでゆきたいなあ。
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カテゴリ説明
もっさり:日々の雑感をもっさり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
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性別:
非公開
自己紹介:
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分野は視覚認知。視知覚にがて。
あと記憶全般。
カテゴリ (semanticsか?) とかも。
最近デコーディングが気になる。
でも基本なんでもこい。
好奇心は悪食。
好きな作家(敬称略)
川上弘美
小林秀雄
津原泰水
森茉莉
レイ・ブラッドベリ
イタロ・カルヴィーノ
グレッグ・イーガン
シオドア・スタージョン
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あと記憶全般。
カテゴリ (semanticsか?) とかも。
最近デコーディングが気になる。
でも基本なんでもこい。
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