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めもめも ...〆(。_。)

認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。

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やったー論文の第1稿(自分内では3稿めだけどヒトに見せられる形ではこれが第1稿)できたー

先生に送る

「こことそことあそこを直せば投稿できるでしょう」

わーいじゃあ早く直さなきゃー

「ということで論文1の第1稿と論文2の第1稿を早くください」

え?←今ここ


というわけで、ちょっと時間をとって勉強してから論文書こうと思ってたらそんな暇がなかったぜ!という愚痴。
いやだって論文1こ書いた時点で2こ出せって言われると思ってなかったし!
わりといっぱいいっぱいです。


ちょみっと踏みこんだことを言うと、今最大に悩んでいるのはfamiliarityという単語の扱い方。
前にもちょこっと触れたけど、「概念としての接触頻度(日常生活で頻繁にみるきくさわるもの)」も「これ前に覚えたよねーそうだよねー覚えてたっぽいー」というメタ記憶的な感覚もおんなじ「familiarity」という単語を使う。
なんとかしてこの2つを区別して表現したい。
でもうまい言い回しがなかなか思いつかない。説明してしまったら長くなってしまうし、短くばっさりいったらどっちをさしてるのか曖昧だし!
記憶してたっぽい感覚のほうを、FOK (feelings of knowing) で代用しようかと思ったけど、FOKってちょっと限定された単語(再生の実験で、再生が成功したかどうかとセットでついてくるから)なのよなー。
もちょと一般的な言い回しがほしい。
アクセシビリティだと、false memory的なものに対して用いるのはなんかへんだし。
それともそのへんの誤解をガン無視してfamiliarityに逃げてしまってもいいのかしらー。
そもそもこのへんのことやってる研究者がまわりにいない。
あーもーわーかーらーん。

・・・昔の研究者たちを呼び出して頭すぱーんとはたきたい。
なんでそんなニアミスをすんねん、と。
おなじ「記憶」領域のなかでなんでおんなじ単語を別の意味で使うのか、と。
トイツメターイコイチジカントイツメターイ
あーもースリッパとかですぱぱぱぱーんとはたきたおしたい。
・・・でも多分はたかれるべき昔の研究者にWilliam Jamesとか含まれちゃうんだよなー。
まったくもう。いつまでたってもちやほやされやがってJamesめ。
教科書とかに顔写真載せられてこどもにひどい落書きをされてしまえ。
いやむしろわたしが落書きしてやればいいのか。怨念をこめて。

というわけでさくっとウィキペディアからJamesの顔写真見つけてきた。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Wm_james.jpg
こいつをどういたぶってやろうか、とか考えているうちに「いやそれよりも早く論文なおさんとあかんがな」と冷静になってきた。

うわーんまたJamesの影響がこっちにもどってくる!
心理学を志すものはJamesの影響から逃れられないのかー(それちょっと違う)

そうだ記憶だ。記憶なんだよ結局は。

論文のたてなおしをちまちまやりながら変な方向にネガティブ入りながら、「結局自分は何がやりたかったんだっけ」とか言い出して思い出した。
結局自分のテーマは記憶なんだよ。

野望を述べろ、って言われたら「全記憶プロセスの解明」とかおとなしーこと言うけど(いやでもこれだけでも十分はっちゃけすぎだと思う)、もともとはもっとマッドな「すべての記憶プロセスを好きなようにコントロールできたらいいのに」という動機?から始まっていたのだった。
好きなデータを符号化し、好きなデータを想起できるシステム。
逆にいえばきらいなデータを抑制し忘却できるシステム。
そのための、記憶情報を解読できるシステム。

そのへんの実装は自分が生きてる間には無理だろうなあ、とB4くらいの頃は漠然と思ってたけど、デコーディング研究が活発になって心理屋さんでも手が届くんじゃないかってとこらへんまできた今となっては、マッドな野望を未来に託さなくても自分で考えてみてもいいんじゃないのか。
元々B4くらいまではわりとマッドなこと言ってて、研究室が変わったときにむりくりおとなしく矯正したけど、今となっては多少マッドになってしまってもいいんじゃないのかね。
以前はマッドなだけで方法論がちっとも伴わなくて、「たぶん脳の研究に直接携われなければ野望を実行することは不可能なんだろーな」とあきらめてたわけで。
今は一応神経科学にちょみっと関われるようになってきてるのだから、あきらめたマッドネス再来してもいいんじゃないのか。
というわけで自分のマッドネスをひた隠しにすることをやめよう。

といっても、デコーディングなんかはただ分類やってるだけのようなもので、実際の心的カテゴリとそれに伴う脳活動との対応がどれくらいあるのか、というのは別の研究で担保しなければならないわけで。
いやまあそれは「研究」である以上しかたのないことか。すべてをいきなりかたづけることはできない。
いやむしろその「担保」の部分は本当にちゃんと担保されているのか?
デコーディング研究の数が増えることは単純にいいことかもしれない。数うちゃ当たる。実際に対応した分類マシンを構築することも確率的には不可能ではない?
しかしその「アタリ」を判定するにはどうしたらいいのか。
そのへんを含めて「担保」の部分をもうちょっと考えるべきではないのか。

単に外的情報と神経活動との対応を考えるだけなら、「こころ」と呼ぶものなんかいらないのであって、同じ外的情報でも受け取られ方が違うからその受け取り器官(機関?)としての「こころ」というものが想定される。
じゃあその受け取った情報のかたち(単位?形式?)をなんと呼べばいいのか(もしくは今までの研究上の術語の何と対応づければいいのか)?
→それが「記憶」でありrepresentationじゃね?
ということで単なるデコーディングではなく記憶representationのデコーディングが「完璧に」成功しないと(マッドな野望的には)意味がないのだよ。
日本に限れば、representationを「表象」と訳すひと(主に心理学)と「情報表現」と訳すひと(主に神経科学もしくは計算論的なとこのひと?)がいて、はたしてそれは同じrepresentationなのかと思うが結局はそれも定義問題なのだろうか。

前に神経科学のえらい先生と話したときも、こないだ心理学の後輩と話したときも思ったんだけど、結局「神経科学」と「心理学」では着地点が違うのよな。
「神経科学」は脳神経のしてることが知りたい。だからしてること(=心的機能)の評価のために心理学的手法を必要とする。着地点は「脳神経がどうなってるのか」。
「心理学」は「こころ」がどんなことしてるのかが知りたい。「こころ」には脳神経が必要だから、神経科学的手法を必要とする。着地点は「こころはどうなってるのか」。
協力すればおもしろい仕事ができるけど、着地点が違うから、同じ土俵にいつまでもいっしょにいるわけにはいかない。
いや、いっしょにいるほうがおもしろいけど、目標が違うことはお互いに把握しとかないとあとあとめんどくさい。
そうでなければ、着地点を見失ってしまう。

「自分の着地点を見失わないようにしよう」と思ったら「じゃあ自分のめざすところってどこだっけ」という反省になって、マッドな野望を思い出した次第。
いきなりマッドな研究に着手することはできないけれど、自分のマッドネスをもっとたいせつにしていこう。


どうでもいいけど、自分で自分をマッドだと判断できる程度には正気なんだよな自分。
修行が足りない。

Mendeley使いながら今更ながら気づいたこと。
Article in pressのコーナーからおとしてきて、Uncorrected Proofってはいってるやつはドキュメントが反映されないものがある。
昔Uncorrected Proofでおとしてそのまんまになってるやつは、確認も兼ねて更新しておくべき。

ちうか文献管理マジ便利。著者名でもキーワードでも検索できる。
もっと便利に使うためには、もっとたくさんの論文情報をつっこまねばならぬ。
となるとちょっと環境構築に時間とるんだよなあ。
まあ某有料文献管理ソフトよりはだいぶ手間が少ないからいいんだけど。
まあいいや。あとまわし。


「意識」に関する議論のTogetterを流し読むとうらやまくやしい。
togetter.com/li/56319
わたし個人としては、「意識」そのものにはあまり興味がなくて(大昔に「結局定義問題じゃん」ってとこをうろうろしている話を聞かされてうんざりしたとか実験長くてねむくてめんどくさいとか←そこかよ)、ついった自体もやる予定がないのでこの議論にはかみようがないのだけれども、こんなふうにいろんな立場のひとがいろんな角度から議論できるのがうらやましい。
もっと認知っぽいとこでそんなふうに議論とかできないのかねえ。
「記憶力向上」みたいな話にしたら、もっといろんなひとに興味をもってもらえるんだろーかー。
でもそのへん諸刃の剣だもんなー。

あれか「意味」とかなら自分の興味とリンクさせながら議論できるのか?
たとえば、「視覚情報から意味を読み取るときに言語情報は不可欠なのかいらんのか」とか。
それを敷衍して、「言語を持たない」とされる動物にとって「意味」を解釈することはできるのか、とか。
いやでもこれってちょっと偏りすぎか。
まがりなりにも視覚屋さんの前で「結局はぜんぶ言語に還元されるのですよ」って言うひといるかしら。
もしくは、そういうことを言うひとを想定して、どうしたら非言語(向こうに譲るなら「言語前」?)の「意味」が存在しうると示せるか、バーチャル論破(笑)やったほうがまだ実利があるかもしれん。
…あれ結局誰かを呼び込むつくりじゃないよ?
うーむ。どうしたらいいのかわからんくなった。

あれだ、わたしがまだまだ世に出てなくて人脈がさっぱりないのがいかんのだ。
もっと世に出なくてはならぬ。

…まあその「世に出る」ためのツールが現在大迷走中なわけですが。
うううぅぅー。

「がっつり」ジャンルにしたかったが、そこまで調べらなかったもさい自分にがっかりです。

「偏相関って順位相関でもできるんですか?」と聞かれたのでちょっと調べてみた。
てきとーにぐぐったところでは「偏順位相関係数(partial rank order correlation coefficient)」というらしい、ということはわかっても具体的な式は出てこない。
『データ解析テクニカルブック』にも載ってない。
困ったな。

とりあえず、統計で有名な先生のサイトで
aoki2.si.gunma-u.ac.jp/lecture/Corr/p-corr.html
とかみてると、スピアマンの順位相関係数に基づく偏順位相関係数は、ピアソンの積率相関係数に基づく偏相関係数とおんなじ検定ができるようだ。
じゃあ偏順位相関係数も、偏相関係数とおなじ式で算出できるということだろうか?
とりあえず偏相関の求め方を貼っておく。
aoki2.si.gunma-u.ac.jp/lecture/Soukan/partial-corr.html
しかし順位相関で3つ以上の変数とか・・・考えただけでめんどくさくなるなあ。

もともとが基礎系のひとなので、やっぱしシンプルな検定ですむ実験のがいいなーとか思ってしまう。
単なるものぐさともいう。

もし何かわかったら追記します。
わからなかったら・・・まあいつものパタンです。

ちょっと義理と金欠と他いろいろのために他大学で下働きすることにした。
今日がファーストコンタクト。

・・・覚悟はしていたが、やはりカルチャーショックはあった。
PCつかう講義なんですが、飲食禁止のPC室でガムかむ子がいるとか、まあ眉をひそめるような事態はある程度予想済み。
まさか課題そっちのけでネトゲする学生がいるとは思わなかった。
ネトゲしてて「課題何したらいいのかわからんー」ってそりゃわかるわけねー。
そしてそういう学生をこっちが叱っていいのか判断つかねー。
上の先生が叱らないならわたしが差し出がましい真似をするわけにもいかん・・・のか?
いったいどうしたらいいんだ。

そうかそういう時代を生き延びていかねばならんのか。
「大学」がもはや「高等教育機関」ではない、とはこういうことをさすのか。
そしてこの状況に対する最適解がわからない。
たぶんそういう「勉強」をしろ、という含みでこの仕事の話がきたんだろうなあ。
違うかもしらんけど。


講義を担当される先生は、わたしの出身大学の大先輩?らしい。
まあ世代が離れまくっているので接点がほんのぽっちりとしかないというかむしろ接点があったのが奇跡だよ。
「われわれが受けてきた“自由な教育”を彼らにも受けさせたい」という理想と熱意を掲げていらっしゃる先生だった。
だけどなかなかうまいこといかなくてねえ、という先生の話がせつなかった。
それでも、大学でほんの少しでも、“自由な教育”を感じてもらえたらいい。
そう思って先生は講義されているらしい。
もしその“自由な教育”の橋渡しの助けをわたしができるとしたら、それはすばらしいことだと思う。

先生が「われわれの受けてきた教育」と言及した、出身大学で受けた教育を、実はわたしは結構誇りに思っている。
自分の研究を行う上での根幹を成していると思っている。
まあ、世界的にすごい研究者をぼろぼろ輩出するようなすごいところではないのだけれど、“自由に学ぶ”ことは徹底されていた。
“自由に学ぶ”ための必要な基礎知識はしっかり叩き込まれたし、3回生からは本当に“自由に”自分の研究(といってもぐだぐだだったけど)をさせてもらえた。
今になって先生らの内情を聞いてみれば、自由にならないこともいっぱいあったそうだし、設備などはすごい研究室に比べたら全然整っていなかった(PCも足りてなかったし)けど、それでも“自由に学ぶ”ことに制限はなかった。
「自由の学風」っていうと某大が有名ですが、あっちは学生のフリーダムっぷりのほうに焦点あるもんなー。
わたしのいたところはちっさいところだけれど、それでも学問としての“自由”があった。
専門分野がぜんぜん違う同期どうしで、おさけのみながらいろんな議論したりとか、ぜんぜん違う講義にもぐりこんでいろんな議論したりとか。
卒論とか思い返してみても、本当にテーマがばらっばらで先生方には結構負担だったんじゃないかなーと思う。
ほとんど先生の専門分野なんて考えてなかったんじゃないかな。
でも、研究をするためのツール(統計とかプログラミング基礎とか論文の書き方とか論理的思考とか)は共通だし、そこんとこをフォローしてもらいつつも、学生も先生もありったけの知識と思考で議論し合えてたから、みんな研究テーマがばらばらでも気にしなかったんだと思う。
てゆーか、そこを出るまで、先生や先輩の専門分野を参考にして自分のテーマを決めるとか、先生や先輩にテーマを決めてもらうという考え自体がなかった。
まあ世の中を知らなかっただけなんだけど。
それはともかく、「研究」というものに初めて出会ったときの方法論が“自由な教育”であったことはわたしの幸せだと思う。
あの薫陶があったからこそ、研究の道に進もうと思えるわけだし。
(そういう意味では道を踏み外した要因だとも言える・・・orz)
たぶん先生も、わたしが思うように“自由な教育”を誇りに思われてていて、だからこそ自分が担当する学生に少しでもそれを感じて欲しいと思っていらっしゃるのだろう。
とはいえ、このご時世でそんな“自由な教育”が成立するのかどうかはちょっとわからん。
わたしのいたところも解体してるし。
今“自由”っていったら、完全放任みたいにとられかねないからなー。
“自由”にするためには、その前段階をきっちり仕込まれておかねば、「何をしていいかわからない」状態にしかならないのに。
そもそも学生の自由に任せる、という方法自体が「古い」のかもしれない。
下手したら、わたしたちの世代が“自由な教育”を享受できた最後の世代かもしれない(勿論、そうでないほうがよいことだと思うが)。
いやでも、ここで「わたしたち」が匙を投げたら、自分たちが誇りに思う“自由な教育”は失われてしまうかもしれない。
そんな危惧があるから、学生が講義中にネトゲしようと、先生は“自由な教育”をしようと手を尽くされるのだろう。
あーそんなこと考えたら下働きしっかりやらなあかん気になってしまうなー。時給安いのに。
金欠ばかりは理想ではどうしようにもねえ。
世知辛いですのう。



あーどうでもいいけどおまけにつられて某紅茶風ペットボトル飲料の果物フレーバー買って飲んでみた。
甘い甘すぎる。紅茶の味しねえ。
こういうときは、自分でいれた紅茶に飲料をまぜて香り&甘みづけに使う。
お砂糖と違って溶け残りがない、いわばガムシロップ的な何かだと思えばいいのですよ。
まあたまにはアレンジティーもありってことで。
気合いれたアレンジティーはちゃんとした果物スライスとか使うけどね。いやまあもったいないからアレンジティーしないのですよ。
だって果物は紅茶に入れる前に食べちゃうし。
あー葡萄とかもっと食べたいのにもうおみかんの季節だなあ。
みかん紅茶ってあるのかなあ。
なくてもいいけどみかんに合う紅茶ってあるかなあ。
どうだろう。

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