めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
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例の「自由意志」問題(?)、以外とその気になってるひともいるらしいと聞いた。
法学畑のひとらにとっては、「法律は自由意志の存在を前提にしている」ので、自由意志が存在しないのであれば、「自由意志が存在しないという前提の法律が必要になる」らしい。
…それ本気で言うてはります?
と言いたくなるのがわたしのサガではある(このへんはhttp://azcog.blog.shinobi.jp/Entry/452/でうだうだ言ったので繰り返しはしない)けども、要するにそういう考え方のひとらって心身二元論を信じているということらしい。
神経科学にあしをつっこむ心理屋さんとしては、心身は(完全に分離したものとして考えることはできないという点で)一元というか身体の状態と心の状態は特定の状態の異なる相だという考え方がわりと普通だと思うのだけど(少なくともわたしはそう信じている)、投薬やら場合によっては手術やらで身体に作用することで心を変えようという臨床の立場では心身二元論的考えはわりとふつうに信じられるものらしい。
身体変えたからって目指す心の変化が得られるとも限らんし。
…えーじゃあ認知神経科学意味なくね?
と思うけどどうなんだろう。
そもそも、「心」というやつ単体をとらえることができないから、単独の「心」なんかないんじゃね?ちゃんと客観的な指標で「心」を(ある種推測的に)捉えようぜ、ってのが心理学なんちゃうんかと。
んでもって、デーモンもホムンクルスもいない脳が生み出す相が「心」ってことで、脳活動と心の状態を対応付ける認知神経科学が成立するんじゃないのか、と。
あーもうみんなイーガンの「決断者」読め「決断者」を。
これに収録されてるから。
フィクションとはいえ、テクストはやはり現象を描くのに必要なのだなあ。
まあ自由意志問題はいいとして、も1こ気になってたのが「哲学的ゾンビ」とかいうなんだかものものしい話。
なんでゾンビ?宇宙人とかじゃなくてゾンビ?発案者はSF者じゃなくてホラー者だったのか?とかそういうツッコミは飲み込むとして。
これもまた「意識」の問題の話ですが、要するに、“出力と入力とがまったくふつーのひとと一緒なんだけど、ふつーのひとが持つ「意識」とか「クオリア」を持たない存在”のことだそうで。
一応ウィキペディア貼る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
あとアンサイクロペディアもね!
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
んで、「哲学的ゾンビ」が存在し得るから、意識というものは存在する必要がないとかそもそも身体と意識(心)が同一である保証はないとか云々。
…これも正直「あたまわるいなー」というか、わざと説明できないようにして自分の仕事つくってんだなーとしか思えないわけですが。
なんでこんなもんが流行ったんだろうね?
まあ自分から「答えのない問い」を作って答えられないことに喜びを見出す哲学者の方々がこういう話大好きなのは想像に難くないけど、心理かじってたらこのりくつの不毛さなんて一目瞭然のはずだよなあ。
行動主義以来(行動主義の是非はおいとくにしても)、(入力)→(なんかの情報処理)→(出力)というのが「心」とか「心的活動」とか呼ぶもののあり方だということはある程度合意がとれているわけで。
行動主義はこの(なんかの情報処理)をブラックボックス化したところがアカンとこやったわけですね。
まあとりあえず入力に対してなんか処理して出力があるわけだ。
(場合によっちゃ自分の頭/心的活動の中だけで入力と出力をすることもありえるけど、それも入力・出力の範疇ということにしておく)
哲学ゾンビはこの(入力)→(なんかの情報処理)→(出力)を完全にヒトと同じようにできる存在と仮定されるわけです。
んで、この(なんかの情報処理)に伴う処理が「意識」だったり「クオリア」だったりするわけで。
つまり
ヒト:(入力)→(なんかの情報処理+意識とか)→(出力)
哲学的ゾンビ:(入力)→(なんかの情報処理)→(出力)
この時点で「完全にヒトと同じ処理」じゃねーじゃん。
それとも、単に「意識がなくても情報処理ができる」ってことが言いたいのか?
ってなると、それは別にゾンビを想定しなくても、「ぼーっとしてやっちまったこと」とか現実に存在する事象をひっぱってこればいいわけです。
で、現実に存在する事象と比較したとき、「意識」があるメリットというのは比較的明確で、要するにメタ認知的なものを働かすことが出来るってことですね。
「意識」によって処理なり出力なりをモニタリングすることで、より望ましい処理なり出力なりができるので、ゾンビになるよかヒトになったほうがおとくなのは明らか。
ゾンビがこの「メタ認知/意識によるモニタリング」までできるというふうに定義してしまうとそもそものゾンビの定義に矛盾する。
そもそも話として矛盾していた、というわけ。
なのにそこをすっとばして「哲学的ゾンビの存在が考えられるのに…」とか言ってるのはあたまがよろしくないか(おかねとか何か別の目的のためにわざと矛盾を無視しているので)性根がよろしくないかのどちらか。
まあリアルで「哲学的ゾンビが…」とか真顔で言う奴に出会ったことがないので、そもそもそんな奴はいないのかもしれない。
あれーこれいわゆる「釣られた」って奴なんじゃないのー?
うっわはずかしー。
あとこれと並んで、「クオリア」というものの考え方のどこがありがたいのかわたしにはよくわからん。
他人の心のあり方が直接わからん、ってのはそもそも心理学の出発点じゃねーか。
クオリア完全解明できたら心理学いらんやろ。
クオリアどうこう言いたいなら、心理学べんきょうしたらすむ話じゃね。
まあわざと話をややこしくしておいたら世の中の仕事が増えてみんなハッピーなのかもしれないが。
そのへんはよくわからん。
とりあえずウィキペディア見てデネット認知機能障害説読んで爆笑できたからよいとする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2
法学畑のひとらにとっては、「法律は自由意志の存在を前提にしている」ので、自由意志が存在しないのであれば、「自由意志が存在しないという前提の法律が必要になる」らしい。
…それ本気で言うてはります?
と言いたくなるのがわたしのサガではある(このへんはhttp://azcog.blog.shinobi.jp/Entry/452/でうだうだ言ったので繰り返しはしない)けども、要するにそういう考え方のひとらって心身二元論を信じているということらしい。
神経科学にあしをつっこむ心理屋さんとしては、心身は(完全に分離したものとして考えることはできないという点で)一元というか身体の状態と心の状態は特定の状態の異なる相だという考え方がわりと普通だと思うのだけど(少なくともわたしはそう信じている)、投薬やら場合によっては手術やらで身体に作用することで心を変えようという臨床の立場では心身二元論的考えはわりとふつうに信じられるものらしい。
身体変えたからって目指す心の変化が得られるとも限らんし。
…えーじゃあ認知神経科学意味なくね?
と思うけどどうなんだろう。
そもそも、「心」というやつ単体をとらえることができないから、単独の「心」なんかないんじゃね?ちゃんと客観的な指標で「心」を(ある種推測的に)捉えようぜ、ってのが心理学なんちゃうんかと。
んでもって、デーモンもホムンクルスもいない脳が生み出す相が「心」ってことで、脳活動と心の状態を対応付ける認知神経科学が成立するんじゃないのか、と。
あーもうみんなイーガンの「決断者」読め「決断者」を。
これに収録されてるから。
フィクションとはいえ、テクストはやはり現象を描くのに必要なのだなあ。
まあ自由意志問題はいいとして、も1こ気になってたのが「哲学的ゾンビ」とかいうなんだかものものしい話。
なんでゾンビ?宇宙人とかじゃなくてゾンビ?発案者はSF者じゃなくてホラー者だったのか?とかそういうツッコミは飲み込むとして。
これもまた「意識」の問題の話ですが、要するに、“出力と入力とがまったくふつーのひとと一緒なんだけど、ふつーのひとが持つ「意識」とか「クオリア」を持たない存在”のことだそうで。
一応ウィキペディア貼る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
あとアンサイクロペディアもね!
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
んで、「哲学的ゾンビ」が存在し得るから、意識というものは存在する必要がないとかそもそも身体と意識(心)が同一である保証はないとか云々。
…これも正直「あたまわるいなー」というか、わざと説明できないようにして自分の仕事つくってんだなーとしか思えないわけですが。
なんでこんなもんが流行ったんだろうね?
まあ自分から「答えのない問い」を作って答えられないことに喜びを見出す哲学者の方々がこういう話大好きなのは想像に難くないけど、心理かじってたらこのりくつの不毛さなんて一目瞭然のはずだよなあ。
行動主義以来(行動主義の是非はおいとくにしても)、(入力)→(なんかの情報処理)→(出力)というのが「心」とか「心的活動」とか呼ぶもののあり方だということはある程度合意がとれているわけで。
行動主義はこの(なんかの情報処理)をブラックボックス化したところがアカンとこやったわけですね。
まあとりあえず入力に対してなんか処理して出力があるわけだ。
(場合によっちゃ自分の頭/心的活動の中だけで入力と出力をすることもありえるけど、それも入力・出力の範疇ということにしておく)
哲学ゾンビはこの(入力)→(なんかの情報処理)→(出力)を完全にヒトと同じようにできる存在と仮定されるわけです。
んで、この(なんかの情報処理)に伴う処理が「意識」だったり「クオリア」だったりするわけで。
つまり
ヒト:(入力)→(なんかの情報処理+意識とか)→(出力)
哲学的ゾンビ:(入力)→(なんかの情報処理)→(出力)
この時点で「完全にヒトと同じ処理」じゃねーじゃん。
それとも、単に「意識がなくても情報処理ができる」ってことが言いたいのか?
ってなると、それは別にゾンビを想定しなくても、「ぼーっとしてやっちまったこと」とか現実に存在する事象をひっぱってこればいいわけです。
で、現実に存在する事象と比較したとき、「意識」があるメリットというのは比較的明確で、要するにメタ認知的なものを働かすことが出来るってことですね。
「意識」によって処理なり出力なりをモニタリングすることで、より望ましい処理なり出力なりができるので、ゾンビになるよかヒトになったほうがおとくなのは明らか。
ゾンビがこの「メタ認知/意識によるモニタリング」までできるというふうに定義してしまうとそもそものゾンビの定義に矛盾する。
そもそも話として矛盾していた、というわけ。
なのにそこをすっとばして「哲学的ゾンビの存在が考えられるのに…」とか言ってるのはあたまがよろしくないか(おかねとか何か別の目的のためにわざと矛盾を無視しているので)性根がよろしくないかのどちらか。
まあリアルで「哲学的ゾンビが…」とか真顔で言う奴に出会ったことがないので、そもそもそんな奴はいないのかもしれない。
あれーこれいわゆる「釣られた」って奴なんじゃないのー?
うっわはずかしー。
あとこれと並んで、「クオリア」というものの考え方のどこがありがたいのかわたしにはよくわからん。
他人の心のあり方が直接わからん、ってのはそもそも心理学の出発点じゃねーか。
クオリア完全解明できたら心理学いらんやろ。
クオリアどうこう言いたいなら、心理学べんきょうしたらすむ話じゃね。
まあわざと話をややこしくしておいたら世の中の仕事が増えてみんなハッピーなのかもしれないが。
そのへんはよくわからん。
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がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
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でも基本なんでもこい。
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津原泰水
森茉莉
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