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めもめも ...〆(。_。)

認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。

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そつろんしゅーろんはっぴょーかいぶじしゅーりょー。
今年は自分がめんどうみたそつろんがあるのでそれなりに感慨ふかし。
わたわたしてたけどあっさり発表を自力でのりきってたので、やっぱこの子はできる子なんだなー、と思った。
「研究指導」の体験一発目がこの子でわたしは運がよかったのかもしれん。
大学関連の飲み会での乾杯がこれほどうれしかったのは今までにないかも。
(自分の修論のときは諸事情あってわりと悲愴だったし・・・w)

そんなかんじでだらだらそつろんネタ。
長くなったのでしまう。



そんなタイミングでそつろんネタがころがっていたのだよ。
まあみんな今の時期そつろんなんだね。
togetter.com/li/92395
togetter.com/li/92560

このネタは、「卒論の添削なんかしない」という発言が「卒論の指導なんかしない」に読み替えられてしまったせいでへんな盛り上がりを見せたもよう。
なんか論点がぐだぐだなのでとりあえずわかるとこだけ絞ると、
・卒論の添削は誰がするべきか
・卒論の指導は誰がするべきか
・卒論の長さ(重さ???)はどうあるべきか
・卒論に存在意義はあるのか
といったところか。

すべての答えは
「分野・研究室次第」
で済んでしまうんだけど、それではおもしろうないので、自分の身の回り、実験心理学分野に限定してちょこと考えてみる。

「添削は誰がすべきか?」
については、まあ教授がする必要もないだろー。
となると院生とかになるのか。
しかし、「研究指導の訓練になる」からといって、無償で無限の時間を注ぎ込めってのは無理難題なので、多少負担を減らすなりRAとかしておこづかいほしい。
いやまあただの欲望ですけど。無償でもやるけど。
そーだったらいーいのにな♪っていう程度で。

「指導は誰がすべきか?」
が、けっこーな問題だと思う。
候補としては、院生、PD・OD、(大講座制なら助教)、教授といるわけですが。
基本的に今いるところは、院生やPD・OD連中が世話をしてこまかい指導をして、教授がGOを出す(場合によってはダメを出す)システム。
前いたところは、助手(古いwww)のせんせが一手に担ってた。
教授はやっぱ最後の最後までそんなに出てこなかったなあ。でも結局試問するのは教授だしなあ。
役割分担の話なのかもしれん。
とはいえ、就職してった先輩方を見るに、添削レベルのことからやってる先生もいるようだ。
そのへんは研究・教育に割けるリソースの違いなのかなあ。

なんにせよ、最終的に試問して認定するしないに持ち込むのは教授なんだから、指導について完全に教授が関与してない、ってのはまずいよーな気がする。
なんか問題あったら責任をとるのは教授なんだから(だって研究室のぼすなんだもの)、最低限のリスク管理ぐらいはしといてほしい。
いやうちらのよーな院生PDOD連中は何も問題ないようにがんばりますけども、でもうちら最終的には責任とれないし。
そこらへんはおさえといてほしい。

「長さはどうあるべきか」
長さに関する規定はあんまし意味を感じない。
ぶっちゃけてしまうと、確かここの卒論は一万字程度?とかだった気がする。わーお文系ー。
でもガチ文系のところはもっと大量に書かせるよねー。
わたしが書いたとこはどうだったかな。もう覚えてないや。でも厳密に何枚・何語以上/以下って規定はなかったよーな気もする。
実験心理学に限っていうならば、まず序論(目的)・方法・結果・考察・引用文献の構造をちゃんと持ってて(それがなかったら実習レポートでも落とすわw)、論理の流れがそれなりにきっちりしてなきゃいかんというのがある(まあ論理破綻してたらそつろんにならんけどw)。
んで、ここらへんの分野ってありがたいことにたいていは学生が興味を持ったテーマをやらせてもらえるから、序論きちんと書かないとその学生が何に興味持ってて何してんのか読み手が把握しづらい。
けっこーみんな好き勝手やるしわたしも好き勝手させてもらえたので、指導する先生側はいろんなジャンルの話を聞かされ読まされる。
つまり共通知識があまりないところから始めるので、短くまとめよーと思ったらHigh IFな一般誌に載せられるくらいの「きれいな序論」を作らねばならぬ。
んがそれは卒論生にはしょーじきしんどいので、先行研究を地道にれんが積みして前提を作り上げるしかない。
そうなると必然的に多少は長くなる。
考察に関しても、実験結果はそんなにみっしりあるわけでもないので、先行研究を引用して論理の補強をはからねばならぬ。
そうなるとやっぱり多少は長くなる。
なので「短くまとめろ」と言われてもそれはそーとー辛い。

あ、それと文系学部はフォーマットがダブルスペース的なやつ(すんげーすかすか)になるので、その設定で数ページだけとか無理すぎるというのもある。
まあ長すぎても先生らがしんどいのはわかるけど、それよりも論理をちゃんと作れてるかがだいじだと思うの。

「意義はあるのか」
ある。
あると断言する。

いや、まあそりゃー、卒論でものすごい新発見できた、とかそういう類の意義はあんましないかもしれん。
でもこの分野でそれなりに新しいことをやるので、研究としての意義がまったくないわけでもない。
これって公的にしていいのかわからんが、どうも卒論指導した院生・PD・ODは、指導した学部生の出した結果について優先的に自分らの研究として発表してもいいよってなるらしい。
実務は学部生がやってるからそりゃ学部生の名前も入るけど、指導したり検定かけたりやってたうちらも「共著者」になる権利があるよ、ということらしい。
・・・自分の研究じゃなくてもいいのか、と思ったけど、よく考えたら多くの学生を指導している先生ってそういうスタイルだよね。実務は学生で指導して共著者。
これすぽんでんすが誰に行くかは協議が必要だろーけど。
そうかそうやって業績を増やすのか!
「ファースト以外無意味」と思ってたわたしはわりと原理主義なのかもしれん。

そして、そつろんの教育的意義はやっぱ半端なくある、と実感している。
今年そつろん見た子は3回生からうちの研究室に来たんだけど、そつろんまえ(3回)とあと(今)では、なんというか思考のレベルが違うように思う。
いやもともとできる子だったと思うんだけど、たぶんこの子はアウトプットのしかたを知らなかったんだと思う。
論理的に思考するためには足がかりとしてアウトプットが必要で、そうやって積み重ねて議論というものを作っていくんだよ、というのは、ことばで言われても「ふーん」としかならなくて、実際自分で一から十まで論理を組み立ててみないと身につかないと思う。
で、そのへんあやふやだった子がそつろんを経てりっぱに思考できるようになれば、感慨もひとしお。
というのが冒頭の話になるわけですが。

んでも、それはわたしがその子だけを2年間みることができたから気づいたことかもしれない。
わたしが運よくアカデミックポストにつけて、あまり研究に熱心ではない大学で、1年間だけで10人くらい卒論生もつようになったら、「あーもーそつろんとか意味なくね?」って思ってしまうかも。
(そう考えたらわたしの卒論をみてくれた助手の先生は本当にすごいひとだった)
あと、だいたいわたしは感動しやすいよな。
MRI実験ができるといっては感動し、結果に有意差がでたといっては感動し。
他のひとはもっとクールにものごとを進めているようだし。
だからわたしが「そつろんで学生がこんなにも成長できる!!すばらしい!!!」と思ってても他のひとは「は?ふつうじゃね?てか別にそつろんじゃなくてもよくね?」って思ってるかもしらん。
とはいえ実験心理学そのものが、論文などのアウトプットを挟んで研究を発展させていくかたちにあるので、実験心理学ではそつろんは必要不可欠なはず。
まあ、いつまで文系フォーマットつかうんだよとか形式的な問題はあると思うけど、それは形式を改めればいいだけの話だし。
論文を書く、というのは就職する学生にもよい学びだと思うのだがどうなのかなあ。

なんかそのへん関連?でよくわからんネタもあった。
togetter.com/li/84006
最初にからみだしたひとが最終的に人格攻撃っぽいことまでやっちゃうから、からんだひとがおかしいみたいな空気になってるけど、これあきらかにつっこみどころやろ。
分野が違う、と言ってしまえばそれまでだけど、心理学で(というか実験心理学で)、教授が何年も査読論文書かないってありえんくね?
いや著書も書くよ。著書もだいじだよ。
でもうちのぼすもとなりのぼすもとなりのとなりのぼすも、著書も書くし(著者割いかかどすか~メールもたまにくるw)講演会もするよ。でもそれ以上に論文書いてるよ。
なんで教授レベルになったら、査読論文以外の業績を重視してもいいのかがわからんぬ。
それを「心理学では」って言われちゃうのが激しく違和感。
臨床か。臨床だからか。
臨床心理学のひとってなんか「心理学では」って勝手に言っちゃうイメージ(笑)。あ、偏見なので嫌な気分になった臨床の方はごめんなさい。
いやでも実際今は臨床のひととそこまでつっこんだ話しないしなあ。
とりあえず引用されてる
sociology.jugem.jp/
には激しく同意。

ピアレビューというのがそんなに無謬のすばらしい制度だとは思わないが、最善でなくても次善ではあるんじゃないかなあ。
実際、著書の書評や引用なんてなかまうちでも可能なわけだし。
まあ査読もすごいひとならなかまうちで済ませることも可能かもしらんが、それでも論文ならわりと反論が堂々登場できる。
同じ論文誌なら、たいてい論文とそれに対する反論はセットで読めるようにしてくれる(オンラインジャーナルだけか?)。
でも著書に反論しようと思ったら、論文に反論するよりもだいぶ大変だと思う。いや実際やったことないからわかんないけど。
自社で出版した本に反論する本を同じ出版社は出してくれるだろうか?そしてそれをセットで売ってくれるだろうか?
読者はその議論を把握できるだろうか?反論があることを知らずに片方だけ読んでその先の議論に気づかないということになりはしまいか?
そゆ意味で、やはり著書も(研究アウトリーチとしては)重要だけど、研究の発展のためには教授も査読論文を書くべきじゃないか。
臨床だって、さまざまな症例を世に紹介して知見を積み上げる必要がある以上、査読論文が重要であることに変わりは無いと思うけど、でも(以下自主規制)。

とりあえず一番言っておきたいのは、
「心理学でも査読論文だいじだよ!!!」
ってこと。
実験心理学ではとくにそうだよ。査読論文少なくてもいいとかありえんよ。
心理学についてへんなイメージがつくのはちょっとごめんこうむりたい。

数だけでの評価はおかしいと思うが、だからといって数がなくていいってことにはならん。
著書をいっぱい書いているひとに対する評価はやはり高いとは思うが、それでもやっぱ査読論文とは別じゃね?
やっぱり研究は議論の台にのせないと。
・・・「議論の台」自体が臨床では違う可能性もあるけど。

まあでも、心理学で一流の活躍をしているぼすたちは、著書も査読論文も書いてるよ!という主張だけはしておこう。

え?自分?
こういうとき自分を棚に上げられるのがネットのいいところなんじゃないの?
・・・とまあひどい逃げをうつ。


あーそんなえらそーなことがいえる業績があったらとっくに就職してるわー。
さめざめ。


あーあとどうでもいいけど、ついったというのを始めたら上のよーな議論の火に油を注ぎにいけるのかなあ、と思った。
でもめんどくさいのでたぶんやらないけど。
結局長文でだらだら考えていく子なんだよな自分。
「短くまとめろ」って言われたら謝るしかねえ。
論文じゃあるまいし駄文にそんな労力つかわねー。
というのがホンネ。

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