めもめも ...〆(。_。)
認知心理学・認知神経科学とかいろいろなはなし。 あるいは科学と空想科学の狭間で微睡む。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
気分転換してたらこんなんに流れ着いた。
zasshi.news.yahoo.co.jp/article
なんだこれ。
>おそらく1番がキキ、2番がブーバだと考えたはずです。
え?ありえんくね?
逆だろふつう。
爆発してるっぽい1番がブーバで、まったりしてげな2番がキキじゃね?
何言ってんのこのひと。
と思ったら
>この質問をさまざまな言語圏で実施したところ、約98%の人が同じ回答をしています。
ええええええええええええええ。
ありえん。
まあソースないし探す気も無いからこのへんの妥当性については保留。
しかも
>なぜ1番がキキなのかを論理的に説明できる人は、まずいないと思います
いやいや。
ブとかバとか破裂音じゃん。
爆発っぽいじゃん。
だから爆発の記号っぽいかたちの1番がブーバ。
めっさ論理的じゃね?
あとキキっていったら魔女の宅急便じゃん。
女の子じゃん。
だからまるっこい2番がキキ。
ふつーに説明できるじゃん。
何いってんのこのひと。
さらに
>無意識の脳が膨大な処理をして答えを導いてくれる
無意識ってなんだよそれ。
ふつーに考えれば、ブーバだのキキだのって連想じゃん。
つまり、長期記憶でどんなもんが音あるいは視覚的特徴に関連付けられてるか、によって回答が導き出されようもの。
なんでもかんでも意識って言い出すのきもい。
ついでに言うとこの上のほうにある
>発想を変えるには脳の別の部分を使えばいい
ってどこからツッコミ入れればいいですか?
むしろぐーでなぐっていいですか?
いちお冷静になってかるーくつっこんでみますか。
・脳の情報表現は分散処理的
・「ここにこの情報があるよ!」なんていう局在論断言はできない
・なのに新しい発想=別の部分とかもうね(ry
・ついでに言うと機能局在的な説を支持してるひとだとしても、「思考」という機能はたぶん似たような場所(やっぱし前頭前野とかか?)なんじゃね?
・あーもうまじめにとりあうのめんどくせ
いや、問題なんはこんな与太が、少年漫画雑誌の裏表紙裏の「身に着けるだけで宝くじは当たるし美人で性格のいい彼女もできるしテストは山勘があたるし札束風呂なペンダントの広告」的扱いではなくて、いい年したオトナ(おそらくはおっちゃん?)がふむふむと読みげなかんじに掲載されているところか。
それともあれか、これは週刊誌的な読んで愉しむ与太なのか。
宇宙人が飛来したりイエスや楊貴妃が日本に来てたりする類のアレなのか。
もしそうだとしたら、「脳科学」(笑)はその程度の需要、その程度の扱いだということ。
これが神経科学に与える悪影響はいかほどだろうか。
もしそうじゃないとしたら。
これが「愉しむ与太」じゃないとしたら。
論理的思考なんて日本社会で生きてくうえでは必要ないぜ!ってことなんかもね。
まあ「脳科学」(笑)が神経科学に対して嫌がらせみたいな立ち位置にいる、って話は本業神経科学者のひとたちがぼちぼちおっしゃっているし、まあ神経科学に限定しなくても似非科学批判的な文脈で語られることも多いから、ひとまずはそこらのひとに任せておいて。
わたしが問題だと思うのは、「脳科学」(笑)のひとたち及び神経科学者の一部は、心理的機能について言及するわりにあまりに心理的機能への考えがぞんざいではないかということ。
ま、その問題があるからこそ、工学系数学もろくすっぽできない文系出身心理学者が神経科学に食い込む余地があるんですけどね。
上に書いた例でいうなら、「意識」と「無意識」とか、「発想」とか、それはどういう心的機能なのかという定義問題や、心的機能と神経活動の対応づけははたしてそれであってるのかという(局在論やら分散処理やらの説とも絡む)問題及びミスリーディングがイクナイんじゃね?っていう。
前述のように、「無意識による情報処理」とかもやっとしたこと言って哲学屋さん(そしてせーしんぶんせき屋さん。言っとくけどフロイトは心理学者じゃないぞ。そしてわたしは個人的にはせーしんぶんせきは心理学じゃねーよヴォケ
って思ってる。やつらはどっちか言うと文学ですよ)をぬか喜びさせたあげく「君たちには失望させられたよ」みたいなこと言わしておくよりも、「音韻情報と形態情報の間で連想(2つのものごとがペアとして長期記憶に貯蔵されよるから、かたっぽが出てきたらもうかたっぽのことも考えちゃう)がなされて対応付けられる」とか言ってたほうがなんぼか明瞭だし計量的に調べられるんじゃね?
たとえば、連想価(どんだけ連想しやすいかの指標)の高いもんと低いもんを比べて、高いもんのほーはすぐに名前つけれるとか、連想に文化差のあるもんでおんなじ課題やったら異文化で結果違ってくるのか、とか。
あれひょっとしたら元ネタってちゃんとそーゆー研究なんじゃね?と思ったらうぃきぺでぃあにあったよorz
やっぱものごとはちゃんとソース確認してから考えたほうが効率がいいですねorz
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%90/%E3%82%AD%E3%82%AD%E5%8A%B9%E6%9E%9C
ラマチャンドランか。ラマチャンドランが犯人か。
まーでもラマチャンドランもなんか心的機能と神経活動の対応付けそれでいいのかよって思うときあるな。
てゆーかこんだけはっきり課題に関連する心的機能明言されてんのに「意識」とか持ち出してくるからイラッとくるのか。
それはわざとミスリーディングを誘ってんのか?
まーよーするに、「脳科学」(笑)なんぞにふりまわされないためには、神経科学リテラシーが必要なんはもちろんだけど、心理学リテラシーもけっこー必要なんじゃねー?とも思いますよ。と。
そんだけ。
ただ、神経科学を専門にしてる研究者でも、心理学リテラシーがちょとあやういひとはいる。
(まー心理学の研究者でも、統計学リテラシーやら神経科学リテラシーあやういひといるけど)
そこんとこはうまくリテラシー教育っつーか共有できたらいいのになーと思うんだが。
まーそのへんがめんどくさいから、それぞれとくいなジャンル持ち寄って共同研究しようぜ!ってなるのはよいと思うけど。
んでも異分野での共同研究ってそんなさくさく成立してないよーな気がする。
わたしがいい例を知らんだけかもしらんけど。
どーでもいいけど、さっきのとこから辿ったウィキペディアの共感覚の項詳しすぎフイタ。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A
この分類でいうとわたしはsound-color synesthesiaというやつをときどき発動する。
はっきりくっきり見えるのは、若干あたまがぼーっとしているときぐらいだけど。
でもそれをちゃんと認識したのは、共感覚について知識を持ってからだなー。
それまでは、色やらかたちやら見えても特に気にしてなかったしなー。
覚醒水準によって発動の有無が左右される、というのはまー神経系の話としてはおもしろいだろーと思うんだが、なにせ体系的な実験思いつかないから確認しようがない。
あ、でも覚醒水準低くないと出ない、というのは「一貫性がない」と判断されるから共感覚の定義にはあてはまらんのか。
まーよくわからん。
うちの研究室の男性陣は、わりと声がふかみどりとかきみどりとかですてきよ。
残念ながら覚醒水準の低い状態で研究室のひとの声を聞く状況ってのがあんましない(それはつまり、研究会でいねむりを…おっとげふんげふん)ので、そんな頻繁に見れないんですがね。
まあわたしの好みでいうならみどり味のある藍色ぐらいの声の男性が好きですね。
なんだったらマンセル色見本で指してもいいですぜ!
ふと思ったけど、色とか形とかカテゴリ集合のでかいものが音にかぶさってくるから、わたしは音弁別閾がでかい(ぜんぜん判別できない)のかもしれない。
逆に、音弁別ができないからこそ、視覚情報との連合で情報を識別しよーとしてんのかもしれない。
こーゆー仮説って考えてるときがいちばん楽しい。
考えるだけならグラントもいりませんから。
zasshi.news.yahoo.co.jp/article
なんだこれ。
>おそらく1番がキキ、2番がブーバだと考えたはずです。
え?ありえんくね?
逆だろふつう。
爆発してるっぽい1番がブーバで、まったりしてげな2番がキキじゃね?
何言ってんのこのひと。
と思ったら
>この質問をさまざまな言語圏で実施したところ、約98%の人が同じ回答をしています。
ええええええええええええええ。
ありえん。
まあソースないし探す気も無いからこのへんの妥当性については保留。
しかも
>なぜ1番がキキなのかを論理的に説明できる人は、まずいないと思います
いやいや。
ブとかバとか破裂音じゃん。
爆発っぽいじゃん。
だから爆発の記号っぽいかたちの1番がブーバ。
めっさ論理的じゃね?
あとキキっていったら魔女の宅急便じゃん。
女の子じゃん。
だからまるっこい2番がキキ。
ふつーに説明できるじゃん。
何いってんのこのひと。
さらに
>無意識の脳が膨大な処理をして答えを導いてくれる
無意識ってなんだよそれ。
ふつーに考えれば、ブーバだのキキだのって連想じゃん。
つまり、長期記憶でどんなもんが音あるいは視覚的特徴に関連付けられてるか、によって回答が導き出されようもの。
なんでもかんでも意識って言い出すのきもい。
ついでに言うとこの上のほうにある
>発想を変えるには脳の別の部分を使えばいい
ってどこからツッコミ入れればいいですか?
むしろぐーでなぐっていいですか?
いちお冷静になってかるーくつっこんでみますか。
・脳の情報表現は分散処理的
・「ここにこの情報があるよ!」なんていう局在論断言はできない
・なのに新しい発想=別の部分とかもうね(ry
・ついでに言うと機能局在的な説を支持してるひとだとしても、「思考」という機能はたぶん似たような場所(やっぱし前頭前野とかか?)なんじゃね?
・あーもうまじめにとりあうのめんどくせ
いや、問題なんはこんな与太が、少年漫画雑誌の裏表紙裏の「身に着けるだけで宝くじは当たるし美人で性格のいい彼女もできるしテストは山勘があたるし札束風呂なペンダントの広告」的扱いではなくて、いい年したオトナ(おそらくはおっちゃん?)がふむふむと読みげなかんじに掲載されているところか。
それともあれか、これは週刊誌的な読んで愉しむ与太なのか。
宇宙人が飛来したりイエスや楊貴妃が日本に来てたりする類のアレなのか。
もしそうだとしたら、「脳科学」(笑)はその程度の需要、その程度の扱いだということ。
これが神経科学に与える悪影響はいかほどだろうか。
もしそうじゃないとしたら。
これが「愉しむ与太」じゃないとしたら。
論理的思考なんて日本社会で生きてくうえでは必要ないぜ!ってことなんかもね。
まあ「脳科学」(笑)が神経科学に対して嫌がらせみたいな立ち位置にいる、って話は本業神経科学者のひとたちがぼちぼちおっしゃっているし、まあ神経科学に限定しなくても似非科学批判的な文脈で語られることも多いから、ひとまずはそこらのひとに任せておいて。
わたしが問題だと思うのは、「脳科学」(笑)のひとたち及び神経科学者の一部は、心理的機能について言及するわりにあまりに心理的機能への考えがぞんざいではないかということ。
ま、その問題があるからこそ、工学系数学もろくすっぽできない文系出身心理学者が神経科学に食い込む余地があるんですけどね。
上に書いた例でいうなら、「意識」と「無意識」とか、「発想」とか、それはどういう心的機能なのかという定義問題や、心的機能と神経活動の対応づけははたしてそれであってるのかという(局在論やら分散処理やらの説とも絡む)問題及びミスリーディングがイクナイんじゃね?っていう。
前述のように、「無意識による情報処理」とかもやっとしたこと言って哲学屋さん(そしてせーしんぶんせき屋さん。言っとくけどフロイトは心理学者じゃないぞ。そしてわたしは個人的にはせーしんぶんせきは心理学じゃねーよヴォケ
って思ってる。やつらはどっちか言うと文学ですよ)をぬか喜びさせたあげく「君たちには失望させられたよ」みたいなこと言わしておくよりも、「音韻情報と形態情報の間で連想(2つのものごとがペアとして長期記憶に貯蔵されよるから、かたっぽが出てきたらもうかたっぽのことも考えちゃう)がなされて対応付けられる」とか言ってたほうがなんぼか明瞭だし計量的に調べられるんじゃね?
たとえば、連想価(どんだけ連想しやすいかの指標)の高いもんと低いもんを比べて、高いもんのほーはすぐに名前つけれるとか、連想に文化差のあるもんでおんなじ課題やったら異文化で結果違ってくるのか、とか。
あれひょっとしたら元ネタってちゃんとそーゆー研究なんじゃね?と思ったらうぃきぺでぃあにあったよorz
やっぱものごとはちゃんとソース確認してから考えたほうが効率がいいですねorz
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%90/%E3%82%AD%E3%82%AD%E5%8A%B9%E6%9E%9C
ラマチャンドランか。ラマチャンドランが犯人か。
まーでもラマチャンドランもなんか心的機能と神経活動の対応付けそれでいいのかよって思うときあるな。
てゆーかこんだけはっきり課題に関連する心的機能明言されてんのに「意識」とか持ち出してくるからイラッとくるのか。
それはわざとミスリーディングを誘ってんのか?
まーよーするに、「脳科学」(笑)なんぞにふりまわされないためには、神経科学リテラシーが必要なんはもちろんだけど、心理学リテラシーもけっこー必要なんじゃねー?とも思いますよ。と。
そんだけ。
ただ、神経科学を専門にしてる研究者でも、心理学リテラシーがちょとあやういひとはいる。
(まー心理学の研究者でも、統計学リテラシーやら神経科学リテラシーあやういひといるけど)
そこんとこはうまくリテラシー教育っつーか共有できたらいいのになーと思うんだが。
まーそのへんがめんどくさいから、それぞれとくいなジャンル持ち寄って共同研究しようぜ!ってなるのはよいと思うけど。
んでも異分野での共同研究ってそんなさくさく成立してないよーな気がする。
わたしがいい例を知らんだけかもしらんけど。
どーでもいいけど、さっきのとこから辿ったウィキペディアの共感覚の項詳しすぎフイタ。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A
この分類でいうとわたしはsound-color synesthesiaというやつをときどき発動する。
はっきりくっきり見えるのは、若干あたまがぼーっとしているときぐらいだけど。
でもそれをちゃんと認識したのは、共感覚について知識を持ってからだなー。
それまでは、色やらかたちやら見えても特に気にしてなかったしなー。
覚醒水準によって発動の有無が左右される、というのはまー神経系の話としてはおもしろいだろーと思うんだが、なにせ体系的な実験思いつかないから確認しようがない。
あ、でも覚醒水準低くないと出ない、というのは「一貫性がない」と判断されるから共感覚の定義にはあてはまらんのか。
まーよくわからん。
うちの研究室の男性陣は、わりと声がふかみどりとかきみどりとかですてきよ。
残念ながら覚醒水準の低い状態で研究室のひとの声を聞く状況ってのがあんましない(それはつまり、研究会でいねむりを…おっとげふんげふん)ので、そんな頻繁に見れないんですがね。
まあわたしの好みでいうならみどり味のある藍色ぐらいの声の男性が好きですね。
なんだったらマンセル色見本で指してもいいですぜ!
ふと思ったけど、色とか形とかカテゴリ集合のでかいものが音にかぶさってくるから、わたしは音弁別閾がでかい(ぜんぜん判別できない)のかもしれない。
逆に、音弁別ができないからこそ、視覚情報との連合で情報を識別しよーとしてんのかもしれない。
こーゆー仮説って考えてるときがいちばん楽しい。
考えるだけならグラントもいりませんから。
この記事にコメントする
この記事にトラックバックする
トラックバックURL:
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリ説明
もっさり:日々の雑感をもっさり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
がっつり:論文や研究関連をがっつり。
びっくり:科学ニュースでびっくり。
まったり:空想科学などでまったり。
ばっかり:デザイン系自己満足ばっかり。
ほっこり:お茶を嗜んでほっこり。
最新コメント
※SPAMが多いのでhttpを含むコメントと英語のみのコメントを禁止しました※
最新記事
(05/08)
(04/24)
(04/10)
(02/03)
(11/01)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
az
性別:
非公開
自己紹介:
興味のあるトピックス
分野は視覚認知。視知覚にがて。
あと記憶全般。
カテゴリ (semanticsか?) とかも。
最近デコーディングが気になる。
でも基本なんでもこい。
好奇心は悪食。
好きな作家(敬称略)
川上弘美
小林秀雄
津原泰水
森茉莉
レイ・ブラッドベリ
イタロ・カルヴィーノ
グレッグ・イーガン
シオドア・スタージョン
分野は視覚認知。視知覚にがて。
あと記憶全般。
カテゴリ (semanticsか?) とかも。
最近デコーディングが気になる。
でも基本なんでもこい。
好奇心は悪食。
好きな作家(敬称略)
川上弘美
小林秀雄
津原泰水
森茉莉
レイ・ブラッドベリ
イタロ・カルヴィーノ
グレッグ・イーガン
シオドア・スタージョン
ブログ内検索
最古記事
(08/05)
(08/16)
(08/19)
(08/19)
(08/21)
カウンター
フリーエリア
PR